2019年7月FIFA女子ワールドカップ
開幕前のイベント

 

プロフィール

・1988年神奈川県生まれ
・現在地:アムステルダム(オランダ)
・現職:パートナーシップ・サクセス統括(MyCujoo)
・海外在住歴:12年(オランダ5年、スペイン5年、シンガポール1年、イギリス・イタリア・スイス合計1年)

学生時代

父の仕事の影響で幼少期の4年間をアムステルダムで過ごす。アヤックス黄金期だったこともあり、その頃からサッカーに興味を持ち始める。サッカー界への就職を意識し始めたのは中学1年のとき。横浜F・マリノスの大ファンだった私は、毎週末スタジアムに足を運び、暇さえあればJリーグとリーガ・エスパニョーラをテレビで観戦していた。ただ、当時はなんとなく語学力を活かしてサッカー界で働きたいというぼんやりとした考えしかなく、具体的に何をしたいかというイメージも、サッカー界で働く知り合いもいなかった。まずはスポーツの専門知識をつけるべく、早稲田大学スポーツ科学部に進学し、ア式蹴球部女子(女子サッカー部)に所属しながら色々な授業を履修した。それまでスポーツを「する」もしくは「観る」ことしか知らなかった私だったが、大学4年時に履修した「スポーツジャーナリズム論」という授業をきっかけに、スポーツを「伝える」ことの醍醐味を知った。

海外留学①:レアル・マドリードと提携するマドリードの大学院に進学

大学卒業後は中学時代から勉強していたスペイン語を磨きたい気持ちもあり、長年憧れだったスペインに留学し、レアル・マドリードと提携しているマドリード郊外の大学院で一年間スポーツジャーナリズムの勉強をした。周りがほとんどスペイン語圏出身者の中、試合の解説、記事の執筆、ラジオ・テレビ番組の収録などを全てスペイン語でこなした。本当にスペイン語漬けの日々で、授業についていくのに必死だったが、あのとき大変な思いをして身につけたスペイン語が後々大きな武器になった。
 大学院のプログラムの一環として夏休み中にインターンしたスポーツ新聞社Diario ASでは、大勢の人が力を合わせてひとつの新聞を作り上げるプロセスを身をもって体験した。このインターンの時期がロンドン五輪と重なったこともあり、日本対スペイン(男子サッカー)のプレビューを書く機会に恵まれて、小さな顔写真入りの署名記事が掲載された新聞を実際に手に取ったときの感動は今でも忘れられない。

 

海外就職①:バルセロナのスポーツメディアコーディネート会社に就職

卒業後もなんとかしてスペインに残りたかったものの、時は2012年夏。経済危機真っ只中だったスペインでは、20代の失業率が50%を超え、スペイン人でさえ就職に苦しんでいた。日本での就職活動を現実的に視野に入れ始めたちょうどその頃、友人に会いにバルセロナを訪問し、ついでに何の気なく日系美容院に行くことにした。カットしてもらいながら美容院に置いてあったスペイン在住日本人向けの情報誌を読んでいたら、バルセロナを拠点としている、あるスポーツ系会社の求人広告が目に入った。条件は「サッカーに興味あり、英語、日本語とスペイン語が堪能で、スポーツジャーナリズムの経験があること」。これは応募するしかないと思い、その日の夜に履歴書と志望動機を送った。数ヶ月後にその会社からオファーをもらい、私はバルセロナに引っ越した。大学院での経験も当然ながら評価してくれたようだが、私がインターン先で書いた記事を読んでくれたようで、それが大きな決め手になったと後から聞いたときは、なんとも言えない嬉しさが込み上げてきた。
新天地ではその後、バルセロナを拠点としながらリーガ・エスパニョーラの現地取材と中継を担当した。スペイン各地のスタジアムや練習場に飛び回り、選手や監督に次から次へと取材し、クラシコ中継も担当し、夢のような仕事だった。当然ながら取材申請、交渉、カメラマンとのやりとりおよびインタビューはすべてスペイン語で、大学院とインターン先での経験が大変役に立った。色々なプロジェクトを担当したが、中でも番組制作が一番印象に残っており、イケル・カシージャス選手、ディエゴ・フォルラン選手、マイク・ハーフナー選手や乾貴士選手のドキュメンタリーに関わった。直前までインタビューの確約がもらえなかったり、現場に肝心の情報が伝わっていなかったり、マイペースなスペイン人に振り回されることが多かったが、徐々に現場のスリルを楽しめるようにまでなり、番組がオンエアされたときはこの上ない達成感を味わった。

 

海外留学②:FIFAマスターに進学

バルセロナでのリーガ漬けの生活も5年目に突入した2015年、そろそろ変化がほしかった。実は、大学時代から私の頭の隅には常に「FIFAマスター」の文字があった。ずっと受験のタイミングをうかがっていたが、クラシコ中継でFIFAマスター卒業生の宮本恒靖さんとご一緒する機会に恵まれ、「FIFAマスターは17年間のプロ選手生活と同じぐらい中身の濃い1年間だった」と言われて、それだけ価値があるのだと再確認した。宮本さんの後押しもあり、ついに受験を決心した。
2016年9月、私は17期生として念願のFIFAマスターに入学し、世界23ヶ国から来た29人の仲間とともに各都市を転々とした。社会人になって知らないうちに日々のタスクをこなせるようになってしまっていた私にとっても、インプットとアウトプット、そして予習と復習の連続だったFIFAマスターはものすごく刺激的で、考えるきっかけをたくさん与えてくれた。
FIFAマスターは私の人生において大きな分岐点になり、本当に挑戦して良かったと心から思う。勉強面においては、判断を下す際に歴史的、経営的、法的な観点から物事を分析することの重要性を学び、今の仕事でもその考えは大いに役立っている。また、すでにサッカー界で働いていた私にとって、キャリアを一度リセットするきっかけを与えてくれて、それまで縁がなかったエリアへの扉を開いてくれた。そして何より、このコースで喜怒哀楽をともにした仲間との繋がりは素晴らしい財産となった。

海外就職②:ライブ配信会社MyCujooに就職

FIFAマスター修了間近の2017年5月、私はFIFAマスターの同級生とローザンヌ(スイス)でiWorkinSportというスポーツに特化した就活フェアに参加した。出展している会社の中にMyCujooというベンチャー企業があり、ブースに寄ってみたらちょうどCEOのペドロ・プレサがいたので、会社について詳しく教えてもらった。MyCujooはサッカー専門のライブ配信プラットホームであり、普段テレビで放送されない試合をサッカー団体が自らライブ配信することを可能にしていること。また、アジアサッカー連盟(AFC)と最近提携し、アジア各国のサッカー協会にライブ配信を導入していること。そして、アジアのプロジェクトマネージャーを近々雇おうと思っていること。たった5分の短い会話だったが、私にはそれで十分だった。履歴書をその場でペドロに渡し、後日面接の連絡が届き、そこからはトントン拍子で就職が決まった。
私にとって一番の決め手となったのは、MyCujooのビジョンに共感できたことだった。CEOのペドロはボアビスタというポルトガルの名門チームの大ファンだったが、2009年にボアビスタが3部に降格してしまい、それから海外にいながら試合を視聴する方法を失ってしまった。そこで世界中のファンがどこからでも応援するチームの試合を視聴できるようなプラットホームを作ろうと決心して、2014年にMyCujooを設立したのだ。私も実際にヨーロッパに移ってからなでしこリーグで活躍する大学時代のチームメートの試合を観戦することができず、「世界中どこにいても試合を観れる環境を作る」という、ペドロと同じ想いを抱えていた。そしてMyCujooに就職することによって、それまで私に不足していたアジアサッカーの経験およびデジタルメディアの知識を身につけられるというのも、魅力的だった。
2017年10月にMyCujooに入社し、1年目はシンガポールを拠点にしながら、アジアサッカー連盟(AFC)とともにアジア40ヶ国以上の連盟・リーグにライブ配信を導入した。アジアと言ってもひと括りにするのは難しく、国ごとに独自の文化があり、ほかの国にはない可能性や問題があり、それに合わせてサポートの仕方を工夫した。2年目からは役職と拠点が変わり、現在は本社のあるアムステルダムからパートナーシップ・サクセス統括として、世界中のサッカー連盟、リーグやクラブをサポートするグローバル戦略を展開している。

海外に出て苦労したこと

私はこれまでヨーロッパで就職活動をすることが多かったが、EU圏出身者が優遇されることが多く、ビザの壁を感じずにはいられなかった。「これはEU圏出身者限定です」という求人が多く、何度も悔しい思いをした。採用が正式に決まった後も手続きが必ずしもスムーズに行くわけではなく、特にスペイン時代は労働ビザの取得にとにかく苦労した。移民局や市役所を何度も行き来したり、色々な弁護士にお世話になったりして、2年9ヶ月かけてようやく入手することができた。労働ビザが手に入るまでは行きたくもない夜間のマスターに無理やり通い、学生ビザでなんとかスペインに居続けた。だからこそ、労働ビザの有り難み、そして仕事だけに専念できることの有り難みを人一倍理解しているつもりだ。

海外に出て良かったこと

まず、ベタかもしれないが、世界中に友達ができ、色々な考えに触れることによって、世界観が広がったこと。そして、海外に進出することによって、母国である日本を外から客観的に見て、長所と短所を再確認できたこと。日本に住んでいたときよりも海外にいる今のほうが日本が好きだと言っても過言ではない。最後に、遠い世界だと思ってたことが身近に感じられるようになったこと。日本にいたときはテレビの画面の向こうの世界でしかなかったものが、実際訪問したり体験したりすることによって、実感を伴った理解に繋がったことが多々あった。まさに「百聞は一見に如かず」だった。

後輩たちへのアドバイス

・語学は必ず武器になるので、習得するに越したことはない。特にヨーロッパでは二つ以上の言語を流暢に話せるのが当たり前で、国際機関に就職したい場合、英語に加えてフランス語もしくはドイツ語が条件となることが多い。
・スポーツ関連の大学院に行けば必ず就職できるという保障はないが、可能性は確実に高まる。
・就職のきっかけがどこにあるかはわからない。私のように、旅行先の美容院かもしれないし、友人とのふとした会話かもしれない。フットワークを軽くすること、常にアンテナを張っておくこと、そしてチャンスが訪れたときにそれをしっかりと掴むことが鍵となるだろう。
・大事なのは「会社名」より、「会社のビジョン」や「仕事内容」に惹かれること。面接でも、なぜその会社に入社したいかより、入社してから何をしたいかが評価されることが多い。それをうまく面接で伝えられないと、なかなか厳しいだろう。
・スポーツ以外に何か強みがあったほうが有利。スポーツ界に就職したい人は山ほどいるので、ただ「スポーツが好き」「スポーツに詳しい」だけではほかの応募者と差別化できない。ほかの人とは違う切り口でスポーツを見ることができれば、アピールポイントになるだろう。

好きな言葉

Life isn’t about waiting for the storm to pass.
It’s about learning to dance in the rain.

Vivian Greene

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