東京大学に入学し、体育会サッカー部(ア式蹴球部)に入部してすぐに世界一周の旅に出た石丸さん。
東大ア式蹴球部の中でも海外に興味がある学生は多いが、実際に行く人は多くないという。
入部して1カ月。新しい環境に変わった中でなぜすぐに世界一周を決断ができたのか。
何が彼を突き動かしたのか。
その経験を通して何を学び、考え、行動し、どのように自身や体育会での活動に活かしていったのか。
石丸さんの軌跡を深堀します。

石丸泰大さんのプロフィール

石丸泰大(イシマル・ヤスヒロ)
東京大学4年生。東京大学運動会ア式蹴球部に在籍。

大学1年時に世界一周の旅を1年間かけて敢行。

登場人物B

インタビューQ&A

初めに、恐らく何度も聞かれた質問だとは思うのですが、世界一周の旅に至るまでのきっかけや経緯を教えてください。

1番のきっかけはとてもシンプルで高校の自分の先輩が東京大学の同じプログラムを使って世界1周していたことです。まずそれがすごくいいなと思って、加えてその先輩からの「大学からお金出してもらえて海外にいけるプログラムがあるよ」という甘い誘い文句にまんまと乗っかったのがきっかけです。(笑)

最初の入りとしては本当にそのような感じだったのですが、高校の時に受験勉強だったりをしながら自分の人生を振り返っていたときに、ずっとこれまでサッカーと勉強ばかりをやってきた人生で、大学に入ったらもともとサッカーを続けるつもりはなくて、そうなったときに何をするのだろうと考えたのですが、何も他に選択肢がなくて自分が過ごしてきた環境がとても閉鎖的で、東京生まれ東京育ちで、いわゆる進学校に通ってという感じで、周囲もある程度バックグラウンドが似た人たちが多くて狭い世界を生きてきたという風に感じましたし、自分で選んできた道というよりか選ばされてきた、敷かれたレールの上を歩んできた人生だというように感じました。

ずっと思考停止で生きてきたような感じがして、見てきた世界が狭かったら選択肢は限られるし、他のことに興味が持てないことも仕方がないことだよなというように思ったので、一度大きく自分の価値観を壊して今まで知らなかった世界に触れることで、大学生活にも生かせるのではないかと思って申し込みました。

世界一周となると規模が大きいのでなかなか簡単にできる決断ではないと思うのですが、スムーズに決断できたのですか?

そのプログラムの存在を知ったのは、高校3年生の8月くらいだったと思うのですが、その時から頭の片隅にあってただ受験に合格するかどうかが分からなかったのでそれに関して考えることはあまりなかったです。

310日とかに合格発表があって、4月には応募しなくてはいけない状況でした。全然時間がない状態だったのが逆に良かったのかもしれないです。浪人する可能性もあったので受かったなら1年くらいいいでしょって思えたりもして勢いで決めることができました。

ご両親からの理解やサポートも得ることができたのですか?

そこは結構難しかったところで、母親は親の仕事で海外に住んでいた経験があってそういう環境で過ごす良さを分かっているみたいな人だったので応援してくれたのですが、父親は反対の立場で「そんなの1年を無駄にするだけではないか」ということを言われました。

早く社会に出ることを勧められましたが、そういうのは自分にはあまり響かなくて、自分の中で何したいかもわからないまま社会に出る方がよっぽど怖いのではと思い、それを見つけることができるきっかけになるなら絶対そっちの方いいっていうのが自分の中であり意志が固かったので最後は応援してくれました。

別に親の希望にあわせたつもりはないですが、これまでそのような道を進んできたような気がしたので親が望まないというか、既定路線を外れるようなことをしたのは初めてかもしれないです(笑)

入部してすぐのタイミングでの決断に際して不安などは感じましたか?

前提としては、そもそも大学でもサッカーを続けるという気持ちが強くなくてもともと入らないつもりだけど入っちゃったという感じだったので不安はあまりなかったです。ただ今思い返すと空白の1年間を作るっていうことを考えた時に、最初の1年に行ったのはすごいいい選択だったなと思います。

東大ア式蹴球部のなかで留学に行く人は多いのですか?

数人はいるのですが、全然そんなことはないです。ただ理解はしてもらえるので本人の意思で行きたいのであれば止められることはないです。入学時点ではみんなそういう大学生活でやりたいことというのがあると思うのですけど、部活を始めちゃうとスタメンの競争とかでプレーの調子を落としたくないとかでやっぱ抜けられなくなっちゃうのかなっていう風に思います。

最初留学したいと言っていた人が結局ずっといるというのはあるあるですね。
僕自身も結構やめるのが苦手という所があって、サッカーを16年間続けてきたのですがそのレール抜けることができない感覚というか、辞めることができなかったという側面もあるような気がして。だからちょうど一回切れたタイミングで何のしがらみもなくなって行きやすくなったというのはよかったと思います。

ご自身の旅のテーマとして「自己の相対化」と「サッカーを通して世界中の人と文化に触れる」ということを掲げていましたが、どのようにそこに行き着いたのですか?

最初は全くサッカーで外国に行こうと思っていなかったです。

自己の相対化は、やっぱり今まで狭い世界で生きてきて限られた生き方しか知らなかったので色んな選択肢や価値観、世界に触れて自分の現在置などを客観視したいということです。

その手段が世界の人と文化に触れるということだったので、そこはつながっていて有名な観光地を見たいとかではなくて少しでもいろんな国の人に会って、その人たちがどういう生活をして、何を食べてどういう会話をしてというような生活レベルを覗きたかった。

それを知ることで新しい自分の生き方だったり自分が何を好きかということだったり、自分を見つめ直す機会になるのではと考え、それをひっくるめての自己の相対化ができると思っています。ただそれをするというのは難しくて、日本から18歳の若者が例えばカンボジアに行くとなり、「あなたたちの生活をみたいです」と言って可能かということを考えた時、なかなかできない。

では距離を縮めて現地の人とも仲良くなれるものってないかなって考えたら自分がずっと続けてきたサッカーではないかと思って、ちょうどそのプログラムでも一貫したテーマに基づいた活動をすることが求められていたので後付的にサッカーもテーマとして設定したという感じです。

準備のところはどういったことをしましたか?

準備はあまりしていなくてかなり楽観的な性格でもあるので、何とかなるだろうと思いあまり決めていなかったです。あとは計画とか立ててもその通りに行かないだろうし、そのこと自体を楽しもうと考えていました。

ただサッカーや旅を通してどういう学びを得たいかということは考えるようにしていましたし、受け入れ先は探しておくようにしていました。ある程度決めておかないと行ってもやることがないってなっちゃって無駄になってしまうので、サッカーと行きたいところを考えて何ができるかということをひたすら調べてしました。それで本田圭佑さんのチームでインターンすることができたのですが、DM送ってお手伝いさせていただけませんかというようなこともして、自分から動いて連絡を取りに行くようにしました。アポを取るなどの人脈づくりのようなことは日本で行いました。

あとはお会いした方が次の方を紹介してくださり、数珠つなぎでいろんな方とお会いすることができました。Sport Globalのマサさんや翔子さんともそうした繋がりの中でお会いすることができましたし、板倉選手や当時シント=トロイデンのCFO(最高財務責任者)を務められていた飯塚晃央さんともお会いしました。奇跡的な出会いに恵まれ、本当に周りの人の助けなしではできなかったと思うので周りの方々には本当に感謝しかしないです。

カンボジアのサッカースクールでの活動の様子

もう何回も聞かれてきた質問だとは思うのですが、世界一周の旅を通して得られたもの何ですか?

サッカーの可能性を強く感じるようになりました。

単に競技の一つとしかとらえていなかったのですが、ボール1つで沢山の笑顔が生まれるもので、とても社会的で文化的なものでした。旅の途中からはサッカーを通して人を幸せにできるのではないかという考えを持つようになりました。

そのサッカーの社会的、文化的価値に気づけたことで部活での活動に繋がっていると思っていて、具体的に言うとゼロから部内でスポンサー獲得活動を始めました。

企業の方々と話して部活に対してのご支援をお願いするのですが、その中で今まで言語化されていなかった潜在的な価値を言葉にして顕在化させて相手に伝えて共感していただく。それで実際に価値を提供してその対価としてご支援していただくという取り組みだったのですが、サッカーの競技的な側面だけでなく経済的な価値に置き換えるということに挑戦しました。

東大ア式蹴球部での活動に関して伺っていきたいのですが、まず振り返ってみてどうでしたか?

一言で言えば人生で最もサッカーが楽しめた4年間だったなと思います。

世界一周したときも、サッカーのいろんな側面に触れたりサッカー以外のことにも取り組んだり刺激的な体験ができたのですが、改めてサッカーをしている時の快感や興奮に勝るものはないなということも感じることができて、サッカーにもう一度向き合える最後のチャンスかもしれないということで東大ア式蹴球部に戻ることに決めました。

同時に視野も広がり価値観なども変わった自覚があったので、体育会に戻ることへの不安はありました。やはり体育会は閉鎖的な性質があるのでそこへ自分を閉じ込めに行くのはもったいないのではないかと思っていたのですが、それを認識することができていたので決して閉じ籠ることなくプレー以外にもサッカーへのかかわり方を追求することができ、ピッチ内でも今までと違う景色が見ることができ、より楽しくなりました。

ピッチ外での活動も通して知見も広がり、様々な人ともお会いすることができ、全部ひっくるめてサッカーだなと思うことができ、とても充実した時間でした。

大学での4年間は社会に出る前の準備期間のような位置づけもされることもあると思うのですが、体育会活動をする中で競技以外にどのような活動が大事だと思いますか?

難しいですね。僕の場合はスポンサー活動をやっていたのがよかったなと思っています。

ただ、それがどこでも誰でもできるかと言えばそんなこともないと思うので、、意識的な部分になってしまうのですが、旅をしていた1年間でいろんなところに行って、いろんな人に会って、いろんな景色を見たりしたのですが、結局常に向き合ってきたのは自分だなっていうことに気づきました。

自分が経験してきたものと大きく違うものを経験したからこそ、自分に意識が向きやすかったというか、旅の良さってそういう所にあると思うのですが、これって自分の心の持ちよう次第で実は外国にいなかったとしてもきっかけって実はどこにでも転がっているのではないかと思います。

だから日本に戻った後も自分の身の回りのことをまず一生懸命やって、その中で出会う一人ひとりの人であったり、小さな変化であったり、気づきというのを大事にしていきたいなという思いはありました。

でもこれは誰でもできることだと思いますし、この気づきがあったからこそ今置かれている環境の中で少しでもそのようなきっかけを掴むチャンスを増やしたいという意識で動くことが大事だと思います。

大学の3,4年間を経てから海外に行くのもたくさんのことを得ることができると思うのですが、大学生活の最初に行ったことは自分にとって大きかったですか?

とても良かったと思っています。問題意識を持つことって大事だと思うのですが、普通に日本で生活して18歳まで過ごしてきて突然問題意識を持てって言われても、実際とても難しいと思います。

自分も全然持てていなかったですし、プログラムに飛び込むことができて良かったですけどそれがなければ恐らく難しかったのではないか、と感じるので、「旅を通して浮かんだ問題意識をもち、それを活かす時間があった4年間にできた」という点で良かったです。そこでの学びを活かすことができたからこそ、スポンサー獲得活動ができたというのもあります。

海外に行くか行かないかだったら絶対行った方がいいと思いますし、それが遅くなってしまっても行った方がいいと思うのですが、大学入学してすぐのタイミングで行って本当に良かったと思っています。価値観とかもそんなに変わらないかもしれないですが、18歳と22歳だったら18歳だったらより柔軟だと思いますし、体力的にも無茶がきくしプライドもなかったと思うので。

世界一周の旅を通して視野が広がり、考え方も大きく変わったと思うのですが、東大ア式蹴球部の中で自分を俯瞰してみてどういう存在だったと思っていますか?

浮いている感みたいなものは当初はちょっとあったのかなと思います。例えば、自分が持ちかえったわかりやすいものがスポンサー獲得活動だったので、それをやろうと言い出しときは、なんでこんなことやるの?みたいな部分は少しあったかもしれないです。

ですが、学生主体のチームということもありましたし、組織に対する付加価値であったり環境を整えたり、組織レベルを高めていかないと勝てないよねっていうのがもともと課題意識としてあったので、ジレンマとかは意外となくてアクションを起こしやすかったです。周りの環境に恵まれていたと感じます。

成果が出始めてからは部にとって必要であるということが理解され始めて、最初はスポンサーチームも4人とかだったのですが、今は15人くらいにまでなって周囲の理解と協力もあり、結果としていいものをチームに還元することができたのではないかと思います。

東大ア式蹴球部さんはオーストリアのチームとスポンサー契約?もされましたよね?

はい。最初は僕がやっぱり大学生活の中で海外経験をもつことの重要性をすごく感じたのですが、体育会学生はやはり難しいので、活動の中にそれを持ち込めるような仕組みづくりや機会があればいいのではないかということを感じ、似たようなことを考えていた同期もいましたし、留学に行けないから部活を諦めてしまう人もいたのでそういう中で始まったのが国際的活動というものです。

海外遠征とかも考えたのですが、コロナもあって難しく、形にならなかったのですがその中でも外国と接点をもち、どういうことができたら部員にとって、もっと大きく言えば日本社会にとってプラスかということまで話をしました。できないなりに活動を続けてきた結果オーストリアのチームにいたモラス雅輝さんという日本人の方と話ができて提携関係を結ぶことができたというのが経緯です。

東大ア式蹴球部は分析が充実していて強みなのですが、モラスさんが僕らの国際的活動をやっているというのをどこかの記事で見て声をかけて下さりました。

モラスさんがちょうど分析をできる人材を探していたということと、僕らが外国に興味があって面白そうな活動をしているということで興味を持ってくださり、何か面白いことを一緒にできるのではないかという話になり、オーストリアのチームの映像をうちの分析チームが見てフィードバックしたりみたいなことをしていました。

現在はモラスさんに依存してしまっていたこともあって、モラスさんのチーム移動に伴い進展がない状況ですが、このような取り組みが1度実を結んだという経験からも再現性はあるのではないかと思います。

最後にご自身の価値観や、将来のビジョンなどあれば伺いたいです。

スポーツとかサッカーというのは自分の中で大きな軸になると思っていて、それはサッカーが持つ可能性が大きいということを感じたのもそうですし、休学した1年間を通して本当にいろんな人にお世話になり、素晴らしい機会をいただいたのでそれをどうにかお返しし、還元していかないといけないというような使命感を感じています。

サッカーを通して日本の人たちが笑顔になる人がもっと増えればいいなと思っていて、それはさっき言ったようなサッカーの持つ価値を社会的、文化的価値まで大きく広げていきたいと思っています。

ただそれをやりたいって言っても簡単にできるものではないですし、やはり日本のサッカー界におけるボトルネックは、産業としてのスポーツの規模の小ささにあるのかなと思っていて、いくら文化的に社会的にどうと言っても、それを大きくさせるにはやはりお金が必要だと感じています。これも休学中に自分が調べたりいろんな人のお話を伺ったり、トップレベルのサッカー界にも触れて齧った程度ですけど、触れた中でも日本のスポーツビジネスは多くの課題を抱えているのではないかと感じています。

お金という面で、産業規模は小さく利益を生むという仕組みを構築することがまだまだできていないということを聞いていたので、そこのボトルネックを解消できるような人になりたいですし、そういう仕事をしたいと思っています。

ただそういった仕事ってすぐには用意されているものではないですし、今の自分にはすぐにできることでないので、どうしたらそこに行けるのかということを悩んでいるところです。

★石丸さんの旅に関して、もっと詳しく知りたい方は以下のリンクからご覧ください!!
https://todai-soccer.com/category/special/ishimaru/

編集後記

東京大学に入学し、すぐに世界一周に出る勇気と行動力の高さにも脱帽ですが、世界一周の旅を通して感じたものをチームに還元する姿勢や、日本スポーツ界や社会にまで試行を巡らす視座の高さなど、多くの学びや示唆が得られる回となりました。

自分の今までの人生を狭い世界で生きてきたのではないかと振り返り、行動を起こすという経緯や、世界一周の旅を通して広い世界やサッカーの競技として以外の可能性に気づかされながらも、同時にサッカーをすることに勝る興奮や感動はないと再認識し、改めてサッカーと向き合っていたことが印象的です。

自分や社会と向き合い、自分が知らない世界へ一歩を踏み出してみること。問題意識が芽生えたなら行動を起こしてみること。
世界一周での経験と体育会での活動をピッチ内外でリンクさせ、広い視野を持ち行動する姿勢。
体育会に限らず、海外という選択肢を検討するにあたって石丸さんのストーリーは一つのロールモデルになるのではないでしょうか。

石丸さんお忙しい中ありがとうございました!

体育会×キャリア×海外企画第2回:石丸泰大さんへのインタビュー、いかがでしたか?今後取り上げてほしいテーマや聞いてほしい質問などありましたら、こちらのお問い合わせフォーム、またはinfo@sportglobal.jpにメールをお送りください。

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