プロフィール
・1991年神奈川県出身
・現在地:神奈川県
・現職:アンコールタイガーFC GM
・海外在住歴:カンボジア5年
2013年に青山学院大学卒業後、新卒入社でアクセンチュア株式会社に入社(2013~2015)。2016年からカンボジアに移住し、アンコールタイガーFCの責任者を勤める。2019年に立ち上げたTiger Cash(少額融資金融事業)の現地責任者も勤める。
小学校2年生からサッカーをはじめ、地元である神奈川県の寒川町を拠点にするフットワーククラブで小学校から高校生まで過ごしました。小学校の頃は神奈川県の郡市大会では神奈川県2位になったり、小学校から高校まで10番を背負わせてもらったりもしましたが、パッとする結果が出せず、大学からはサッカーメインでの生活を辞めサッカーサークルへ。
当時スポーツやサッカーの領域で仕事がしたいとは全く考えていませんでした。理由としては、サッカーの仕事が選手やコーチしかなく、金銭的にも厳しいものがあるという先入観があったのだと今では感じています。
大学卒業後、2013年にコンサルティング業界のアクセンチュアにITコンサルタントとして新卒入社。
就活当時に考えていた軸は、下の①~③で運よく手にしたいくつかの選択肢の中で、ここがベストだと思って決断:
①やりたいことが見つかった時にいつでも転職できるような成長できる業界で企業であること
※強いて言うなら無形商材の業界がよかった
②いろんな業界の人と仕事で接点をもてる業界や企業であること
③1人で生きていける力をつけれるような企業であること(自分で稼げる的な考え)
のちのサッカークラブで働いていく上で1社目のキャリアは大いに役にたっているなと感じています。
アクセンチュア所属時代は会社のサッカー部にも所属してサッカーの楽しさや偉大さを社会人になって改めて実感して、そんな入社して約2年半後に約2週間の休暇があってそこで縁あってカンボジアへ。
アクセンチュアの卒業生の方が東南アジアでサッカーをテーマにした研修プログラムを個人向けにやっていて、大学生中心のプログラムだったもののそこに参加。東南アジアもサッカーもダブルで好きな部分だったのでプログラムを見たときに直感で行ってみよう、と。
約10日間は日系のサッカースクール事業を展開している企業、残り2、3日程度を現在のアンコールタイガーFCで過ごさせてもらいたいとリクエストして業務を覗かせて頂きました。
アンコールタイガーFCではホームゲームも観に行く機会があって、その試合後のピッチでオーナー加藤と初対面。
当時カンボジアでサッカーに関わられている方々に会って、みんなキラキラしていて充実している印象を受けたことを覚えています。カンボジアサッカーに関しては国民スポーツで代表がかなり人気、対照的にリーグの試合は100人以下から数百人程度しか観客が入らない人気ぶりだったけど、熱量やポテンシャルは感じた。カンボジアのGDP成長率みたいな感じでカンボジアサッカーもカンボジアリーグももっと盛り上がっていくだろうな、伸びしろしかないなと。
その後日本でオーナー加藤と情報交換などさせて頂く中で、カンボジアのプロサッカークラブへの就職を描くようになったのがきっかけです。
描くようになったきっかけは、
① 当時のクラブのフェーズが設立初年度
② 当時25歳で大好きなサッカーを舞台にクラブ経営が経験できる
③ カンボジア単体で黒字化する為に、別事業も展開していきたい意向がクラブにある
この3つ、かつオーナー加藤のアジアNo.1のクラブを作るという意思に惹かれて、最終的に2016年1月からの転職が決まりました。特に③の思い入れも自分の中ですごくありました。
転職当時は、僕がSales Managerとして入社し、現地に日本人のカンボジア現地責任者GMがいましたが、GMの日本帰国に伴い、2016年9月からカンボジア現地責任者GMの役職を頂いたという流れです。カンボジアに行っていなかったら、カンボジアでアンコールタイガーFCのホームゲームに行っていなかったら、そう考えるとサッカービジネスにも関わっていなかったはずなので、人生本当に巡り合わせやタイミングだなと思っています。
最初4年はアンコールタイガーFCのクラブ経営全般で、例えば資金繰り、財務、法務、採用(オフィススタッフ及びチームに所属するコーチと選手の強化も含む)、スポンサー営業、チケット・グッズ販売、マーケティング・プロモーション、ホームゲーム運営をカンボジア責任者として担当。
僕の上司に、クラブオーナーの加藤がいて加藤は基本日本ベースで出張ベースでカンボジアに来る感じです。
構成は毎年変動しますが、2023年1月時点ではオフィススタッフ11名(日本人社員2名、カンボジア人社員9名)、チームスタッフ5名(イギリス人1名、日本人1名、ドイツ人1名、カンボジア人4名)、選手20名(カンボジア人20名)です。
組織が小さいので持ち回りで担当し、担当する部署も大きいクラブになると通常は○○部署配属で、例えばスポンサー営業のみ、みたいな縦割りが常だと思いますが、僕は管理業務だけでなく、好きでプレーヤーとしてもホームゲームの設営もやるし、スポンサー営業もやるし、地元の飲食店にポスターを張りに行く等もやります。そもそも現場見えないと管理業務なんてできないって思ってます。
現在は、Tiger Cashという少額融資の金融事業をカンボジアでも新会社を立ち上げて運営しております。サッカーの方は強化やスポンサーシップセールス、ファンとのリレーション構築、法務、財務をメインでやっています。勝治という日本人スタッフもう1名がフロントにいて彼がメインでサッカー事業を現在運営しています。
運よく、ファンの方や地元の方、チームの力を借りて2018年、2019年にホームゲーム観客動員数No.1を2年連続達成することができました。
2016年当時はクラブは首都プノンペンベースでコアファンもいなく選手スタッフの家族や友人が応援してくれるのみ。ホームゲームでは5万人収容のスタジアムには観客が100人のみの時も…。
サッカーチームはファンがいないと成り立たない。ファンがいなければスポンサーはつかないし、チケットもグッズも売れない、その考えから優先順位第一に“ファンを増やす”事を戦略的ターゲットに。
その上で実施した内容は以下の3つ:
①本拠地の移転
② 移転後のターゲットの選定をして、後はゲリラ戦
③ 話題性をつくる
① 本拠地の移転
首都プノンペンから世界的観光地シェムリアップに移転。日本の例で説明すると東京本拠地から京都に移転したイメージ。実際の距離は東京⇔京都よりも近いですが、それでも250km離れてて飛行機では30分、陸路では6時間かかる距離感への移動。
理由は首都プノンペンにほぼ全部のクラブが集中してる。首都プノンペンには地方から移住してきてる方も沢山います。つまりアイデンティティが持ちづらい。地方にいくと地元愛が強い方がいるように、中堅クラブの僕たちが本拠地を変えることでファン獲得への勝算があるなと思いました。かつシェムリアップは世界遺産アンコールワットがあり観光客都市ということもあって移転を決定。移転後には地元のアマチュア選手獲得を積極的に実施しました。
② 移転後のターゲットの選定をして、後はゲリラ戦
どこからファンを取り込んでいって、大きくしていくのか、一番最初にターゲティングしたのは学生です。
カンボジアは交通インフラが整ってなく、バイクでの来場がほぼ。スタジアムの場所は決まってたので、スタジアムの周り10kmくらいでバイクで来場できそうな中学高校大学に集中。この全体母数は約4万人いるって計算したのを覚えています。
オンラインでのプロモーションも人気がないうちは限界があるので、選手、スタッフがホームゲーム前には必ず学校にいって告知を実施。ホームゲーム前の1週間は、毎回おそらく2万人には必ず直接告知していたと思います。これを移転後2017年からずっと続けています。
認知してもらって、会場に足を運んでもらう、その人たちがまた再来場してリピーター、コアファンになってくるの循環を狙っています。
チーム側の試合内容や結果は自分ではコントロールできないけど、ホームゲームの運営や企画は満足してもらえるようにオフィススタッフがコントロール可能です。
③ 話題性をつくる
「リーグの中で1試合でのファン観客動員数No.1」「毎年ボールを5000個配る」「チケット料全額小児病院へ寄付」「ハーフタイムでのスター歌手のライブ」「シェムリアップ出身選手クラブ保有No.1」「ユニホーム販売No.1」など
話題性やシェムリアップへの貢献性を示しながら応援してくれる層を増やす、既に応援してくれている層にもっと入り込むこれが目的です。サッカーには街を変えるポテンシャルがあると今では実感してます。
①は単発のアクションですが、②③は継続的に今でも大事にしている部分で、こういった事も効して2018年、2019年はシーズン通してファン観客動員数No.1を受賞しました。
ちなみに数字はこう推移しました。
2016年は平均観客数300人程 (プノンペン)
2017年は平均観客数900人程 (移転初年度シェムリアップ)
2018年は平均観客数1900人程
2019年は平均観客数2900人
海外に出てよかったことについて触れる前に、まずサッカークラブで働く意思決定をして心底良かったなと思っています。90分の間にチームやファンがかける想い、感情の喜怒哀楽が露骨に出て会場が歓喜する瞬間。この瞬間が最高で、この瞬間の為に、チームをどう強くできるか、フロントスタッフがどう貢献できるか、ホームゲームの運営を細部までこだわる、などの考えに変わっています。
チーム、ファン、応援してくれる人や気にかけてくれる人、地域の人と近い将来優勝の歓喜を一緒に味わいたいと思っています。
話は戻り海外に出てよかったことは、多様な価値観に触れることができて自分の幅が広がったことです。スタッフに厳しすぎて、スタッフから集団ボイコットを受ける経験もしました。カンボジア人のみならず、ヨーロッパ圏の人と働くこともあり言い合いの喧嘩なんかもしました。喧嘩したことを自慢しているわけでなく、オブラートに包まず自分の意見を主張する、ぶつけあってるからこそ起こるような事もあり、最後は笑顔で握手して終わるんですが、こういった経験は人生の懐を大きくする経験だと思っています。
国も違えば当然価値観も違うので、自分の意見を言う、ここが大事で最初は語学も細かいニュアンスの部分まで伝えることが難しければ、自分の意見を伝える、こんなことには苦労しました。