プロフィール
・1987年東京都生まれ
・現職:ACAFP COO/KMSKデインズCEO
SPORT GLOBALへ寄稿している他の方々の記事を拝読すると、ほとんどの人たちが何かしら海外に縁があったり、海外志向を持って留学や職業を経験していたりする中、31歳まで一度も留学・海外勤務を経験もせず、20代まで海外志向もないまま海外雇用となった私の経歴は本サイトの主旨としては少し異色かもしれませんし、まだ海外での就業期間も短いのでこのサイトを訪れる方々にどこまで参考になるかはわかりませんが、私自身の体験してきたことをお伝えさせていただければと思います。
1987年⽣まれ。慶応⼤学経済学部卒業。2011 年に新卒で楽天株式会社に⼊社後、経理部に配属され、楽天ポイント経理や事業損益を担当後、2015 年にヴィッセル神⼾へ総務経理マネージャーとして出向。本社復帰後、楽天本体の税⾦計算や楽天トラベルの経理グループマネージャーを経験。J リーグが設⽴したスポーツビジネス⼈材を育成するSports Human Capital (SHC)を2018 年7 ⽉に5 期⽣として卒業後、2018年12⽉よりシント=トロイデンVV のCFO として財務管理の責任者を務める。2022年からACAFPのCOO(最高執行責任者)に就任。コアクラブのKMSKデインズに関しては2023年5月よりCEO(最高経営責任者)として、クラブ経営に参画している。
東京都で生まれましたが、3歳の時に埼玉県浦和市(現さいたま市)へ引っ越し、そこで小学校~大学までを過ごしました。私の両親は日本人で彼らの仕事も海外とは無縁だったことから、私が海外を意識するようになるのはもう少し後になります。
時はJリーグが開幕し、サッカーブームが起きていた時代で、自然と周りの友達とサッカーをするようになり、小3から地元のサッカーチームに入ってボールを蹴り始めました。中学では地元のクラブチームでサッカーを続けていましたが、プロを目指せるほどの強いメンタルはなく、都内の私立高校へ進学してからは部活でサッカーを続ける程度でした。地元浦和には浦和レッズがあり、年パスも家族で買っていたので、週末スタジアムに自転車で行って試合観戦するような生活を送っていました。
大学受験は思い通りに進まず、一浪して慶應義塾大学に入学したものの、新しいチャレンジをしたいと思い立ち、当時アテネ五輪で話題になっていたこともあって、体育会アーチェリー部へ入部し、朝から晩まで弓の練習に明け暮れる大学生活を送りました。大学ではサッカーは細々とフットサルなどを友達としながら、社会人では社会人チームで続けています(今は休止中)。アーチェリー部は卒業後もコーチやOB・OG会の財務委員に携わるなど、今でも継続して関わっています。
ずっとスポーツに関わり続ける生活を送っている中、サッカーというメジャースポーツだけでなく、アーチェリーというマイナースポーツも経験できたことは、私自身が現在スポーツビジネスに身を置く中で重要な視点を与えてくれています。
ここまでの学生生活の中で、海外を意識するようなこともなく、スポーツを仕事にしようなどとは思いもよらず、しかし就活でも特にやりたいことも見つからないような状態でしたが、「自分自身で新しい環境を構築していくチャンスがある」「会社の成長と共に自身の成長を実感できる」「スピード感を持って色々な事業にチャレンジができる」と考え、楽天株式会社に就職することに決めました。
就職活動では、なんとなく漠然と海外にも行ってみたいな、程度の気持ちしかもっていませんでしたが、楽天自体がグローバルへの進出を強化していて、社内英語化を導入したことで、自分自身も英語学習を進めながら海外で働けるチャンスを強く意識するようになっていました。
私自身が「サッカービジネス」と「海外」を志すターニングポイントとなるのは、この後に出てくる、「ヴィッセル神戸」と「SHC」です。
将来ビジネスで上に行くために数字に強くなりたいと考え志望した経理部に配属され、最初の3年間は事業損益や楽天ポイントの経理業務などを担当していましたが、もともと経理として生きていきたいと思っていたわけではありませんでした。3年経って新しいチャレンジを模索しようと異動希望を出しました。
そんな中、2015年に楽天がちょうどヴィッセル神戸を買収したタイミングで、PMIの一環で管理部門への出向者を派遣することになり、私に白羽の矢が立ちました。スポーツを仕事にしようなどとは全く思ってなかったのと、ずっとサッカーをしてきた人間として自分のようなサッカーへの強い意志のなかった人間がJクラブで働くことは「畏れ多いな、、、」というのが最初の印象でした。が、ずっとスポーツを続けてきた人間として、神戸へ向かう新幹線の中で感じたワクワク感は今でも忘れられません。
しかし、いざ出向してみるとそこは思い描いていたのとは全く違う風景でした。というのも、Jクラブといっても実際には地方の中小企業であり、整った何かがある世界ではありませんでした。本社から降ってくるPMI業務をこなす傍ら、経理・財務・総務・人事・法務など全ての管理部門の業務を一手に行い、試合日には試合運営を手伝うなど、朝から晩まで土日なく働き詰めで、当時は本当にがむしゃらに目の前の仕事をこなすことで必死でした。
私のキャリアを決定づけるような体験はスタジアムの中にありました。観客としてではなく、当事者として、毎試合起こる感情の爆発とその渦に体全身で圧倒されるとともに、この感情を生み出す場所の近くで働きたい、自分自身がこの感動を生み出す人間になりたいと強く思うようになりました。
そこから本社へ復帰したタイミングが30歳で、今まで仕事を教わる立場だった20代を経て、今度は自分自身がどうやって社会に価値提供をしていけるのかを考えた時、「スポーツ」への価値提供を自分自身のアウトプット領域と定めました。
しかし、せっかくスポーツビジネスを志すのであれば、もう一度学び直してから戻りたいと考えた時、Jリーグが設立したSHCが頭に浮かびました。2015年にJ League Human Capital(JHC)として設立されたことはヴィッセル神戸在籍時に知っており、自分の知り合いもここに通っていたことを思い出し、料金安く、短期集中だったことから、SHCへ応募することを決めました。
SHCでは同じスポーツビジネスを志す方々とともに真剣にぶつかり合える、素晴らしい環境が用意されていました。私の同期の多くも卒業後スポーツ界へ身を転じていることもあり、同期とは今でもLINEグループを通じてスポーツビジネスについて情報を交換し合ったり、相談したりする仲間です。また、卒業生のネットワークも充実しており、このSport Globalを主宰している阿部博一さんもSHCで繋がることができました。
SHCを卒業するころ、私には2つの選択肢がありました。
楽天に残ってヴィッセル神戸へ復帰する道。
全く違ったキャリアを目指す道。
そんな中、「STVVから管理部門責任者を募集しているので面接を受けないか?」というお誘いをSHCから頂きました。「自身の専門領域を通じてサッカークラブで働ける」「海外で挑戦できる」という私の2つの動機を満たし、かつ自分自身で勝ち取ったチャンスだったので、迷うことなく面接に向かい、2018年12月から現職に就くことができました。
海外の縁も、留学経験も、海外勤務経験もない自分にチャンスをくれたSTVVには感謝しかありません。
海外留学も海外でのインターンシップなどもしていない立場から、何か言えることがあるとすれば、「海外を志望するのであれば海外留学は行った方がいい」ということです。海外で働くためのベースは語学です。最低限、英語はビジネスレベルで会話できる必要があります。
巷で、よく「行ってから何とかなる」みたいな言論があり、私もその部類だと思いますが、経験した身からすると、「ちゃんと語学能力を身に付けてから行くべきだ」という考えです。
楽天では評価基準に英語能力があったので勉強はしていたものの、職業柄英語を業務で頻繁に使うことも少なく、ひたすら独学の日々でした。ただ、「海外で働く」という目標だけは明確だったので、英語学習のモチベーションは維持し続けられたのではないか、と思っています。
日本の英語義務教育には短所が多いと思っていますが、ただ大学受験までの学習の中でReadingとWritingは既に高いレベルになっていました。私の場合はListeningとSpeaking能力をいかに高めるか、だけでした。
また、ベルギーという国であったのも良かったと思います。ベルギーの公用語はフランス語とオランダ語ですが(シント=トロイデンはオランダ語地域に属す)、ベルギー人は上記2カ国語に加え、英語もほとんどの人が流暢に話せるので、業務では英語を使っています。ベルギー人にとっても英語は母国語ではないので、お互い完璧でない英語コミュニケーションに寛容である環境は、私自身にはとても助けになっています。
しかし、着任した当初は英語で業務を行うのに苦労しました。英語の準備は行く前にできるだけ行っていたとはいえ、最初の1年は毎日朝と夜に英語の練習を行い、何とかビジネスで英語を使えると言っても良いレベルまでは能力を引き上げられたのではないかと思っています。今でも継続して英語学習は続けるようにしています。
ただ、本質的には語学だけでは海外では働けません。言葉が話せるだけでは、異国の地で日本人を雇う価値はほぼありません。私は日系資本だから働けています。もちろん通訳や翻訳を職業にできるくらいの高い語学能力があれば別ですが、最終的には「自分はどんな価値を提供できるか」です。価値を認めてもらえる、ベースとなるビジネススキルが無ければ海外で働くことはできません。語学はあくまでツールです。自分自身が提供できる価値を磨けていれば、国関係なく働くことができると信じています。
ベルギー1部リーグのサッカークラブ経営をしています。その中で私の主な担当領域は、
・管理部門全般(経理・財務・総務・人事・法務)の管掌
・予算作成・管理
・事業計画作成
・組織管理
・親会社とのコミュニケーション
・新規事業立ち上げ
・コミュニティワークの管掌
など、多岐に渡っています。細分・具体的にすればもっと色々な事に従事していて、自分の領域以外のことでも何でも取り組んでいます。
海外資本がサッカークラブを買収した際に難しいこととして、「地元の人間関係と上手く付き合う事」という事があると思っています。
ヨーロッパのサッカークラブはどこも大体100年くらいの歴史があり、資本関係上クラブ経営権を支配していたとしてもあくまで海外資本は「一時」のオーナーに過ぎません。本質的にはサッカークラブは地元の親子何代にもわたって応援し続けてきたファンのものであることを忘れてはいけません。
そんな中、一番印象に残っているのは、民間非営利団体(NPO)の統廃合を行ったことです。STVVにはボランティアスタッフを管理するNPO、ユース組織を管理するNPO、アマチュアチームを管理するNPOの3つが存在していました。グループ経営的視点からは3つの組織が1つに統合する(もしくは意思決定の場を統一する)ことが良いことはわかっていましたが、それぞれの組織を運営する地元の人間関係でずっと統合が進んでない状態でした。単に経営的視点から統合を強引に進めてしまっては地元の人たちとの関係性が悪化し、今後の協力をしてもらえなくなってしまいます。そこで、それぞれの組織と毎週ミーティングをして丁寧なコミュニケーションを積み重ね、少しずつ理解を得ることで1年かけて何とか円満にNPO組織の統合を行うことができました。
実は地元の人たちも統合することが必要であることはみな賛成していたのですが、お互いの人間関係からそれができていませんでした。「外からやってきた日本人の話を聞いてやった」という建前を用意してあげることで、この統合を行うことができたのですが、一つ一つ丁寧にコミュニケーションをする大切さを改めて実感した出来事だったと言えます。
STVVの理念は「日本サッカーの欧州拠点となる」ことです。今までの3年間で多くの日本人選手をヨーロッパの地に迎え入れ、送り出してきました。また、スポーツスタッフ、ビジネススタッフもここで経験を積ませてもらっており、今後の日本サッカー界への人材的貢献ができることを目指しています。日本ではSTVVの認知も広まってきましたが、今後はアジアのマーケットへ進出していきたいと考えています。
私自身はこの2年間で管理部門領域については安定した業務運営体制を構築できたと自負しており、2019-20シーズンではベルギーのファイナンシャルフェアプレーランキングで3位にもなりました。
今後は運営体制をより強固にしながら、新規事業やアジアマーケットへの進出を推進していきたいと考えています。
今後の人生では、最終的には2050年のW杯で日本代表が優勝することに貢献する、という大きな夢に向かって日本サッカー界・スポーツ界に貢献をしていきたいと思っています。ヨーロッパにいると日本のプレゼンスの低さを感じる場面が多くあり、日本が国際的なスポーツシーンでリーダーシップを取っていけるような仕事を中期的な視点ではできればと考えています。
好きな言葉
向上心のないものは馬鹿だ
「こころ」夏目漱石
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。マザーテレサ
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