第6回では、アスリートを取り巻く身近な社会環境として、中央競技団体(NF)と指導者について取り上げた。本連載を貫く一つの大きな流れとして、アスリート自身の事(第1回~第4回)、アスリートを取り巻く環境の事(第5回~第7回)という大きな2つのパートがある。これは、アスリートのキャリアは複合的な要素が絡み合うトピックであると認識しましょう!という問いかけであり、一般的に強調されがちな、アスリートの欠落した人格や社会性キャリアサポートの不足などを撫でているだけでは、課題の本質が見えてこないぞ!という警鐘でもある。どこまでこの目的が達せられているかはともかく、第7回が実質、本連載の最終回となる。第7回では日本の福祉、雇用、教育のしくみを、アスリートのキャリアという軸で考えていきたい。

これまで様々な文献の知識を基に考察をしてきたが、第7回では、日本社会のしくみ雇用・教育・福祉の歴史社会学(小熊英二)のフレームワークを活用し考察を進める。本編に入る前にさっそく余談になってしまうのだが、小熊氏のこの本は、本連載を書くきっかけとなった書籍だ。アスリートのキャリアに関する書籍や記事は、自身の経験を掘り下げる自叙伝的なものや、元アスリートのインタビューをまとめたサンプル集的なものなど、既に数多く世の中にある。一方で、これらの書籍や記事を個別に読んでも、アスリートのキャリアというトピックに関して断片的にパズルのピースを与えられているが全体像が見えない、何だか腑に落ちない感覚をずっと持っていた。そんな時に小熊氏の本と出会った事で、これまでアスリート側のトピックとしてのみ語られていたセカンドキャリアを、日本社会のしくみという一回り大きな枠に当てはめて考えてみる気づきを得た。勿論、この気づきは、25歳でサッカー選手をクビになり、留学、日本のカイシャでの経験、そして転職を経て、海外で働く機会を手にした事により、自分の中で徐々に芽生えた視点である。

著者プロフィール

阿部博一(アベ・ヒロカズ)
現在地:クアラルンプール(マレーシア)
職業:アジアサッカー連盟(AFC)Head of Operations(審判部)
登場人物B

1985年生まれ、東京都出身。道都大学卒業後、V・ファーレン長崎にサッカー選手として加入し、3シーズンプレー。最終年はプロ契約を結ぶ。2010年のシーズン終了後に戦力外通告を受ける。その後、米カリフォルニア大学サンディエゴ校に進学し、国際関係学修士を取得。2014年に三菱総合研究所へ入社。スポーツ及び教育分野の調査案件に従事。2016年よりFIFA傘下で、アジアの国・地域のサッカーを統括するアジアサッカー連盟(AFC)にて勤務。英検1級、プロジェクトマネジメントの国際資格PMP(プロジェクトマネジメント・プロフェッショナル)を保有。現在、国際コーチ連盟(ICF)の認定コーチ(ACC)プログラムを受講中。趣味は筋トレ。二児の父。
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日本のカイシャとムラと残余型

これまで何度も引き合いに出しているが、「自分はスポーツしかやってこなかったので…」と口にするアスリートが数多くいる。この後に続く文章は、「社会の事はわかりません。」と推測出来るという話もしてきた。では、この時アスリートがベンチマークしている社会とは一体何なのだろうか?我々が日本社会での生き方を口にする時、思い浮かべる普通の人々の生き方とはどんなものか?まずはこれを考察していきたい。

普通の生き方①:カイシャ

少し前の話になるが、2017年、経産省若手プロジェクトが不安な個人、立ちすくむ国家という文章を発表し大きな話題になった。この文書では、「かつて、日本人の人生には目指すべきモデルがあり、 自然と人生設計ができていたが、今は、何をやったら合格、100点か分からない中で、人生100年の自分の生き方を自分で決断しなければならない。そんな時代の中、個人は不安を抱え、国家は大きな転換が出来ない。」そんな問題提起をしている。この文書の中で、昭和の人生すごろくという図が出てくる。これを日本の普通の生き方を読み解く足掛かりとする。

昭和の人生すごろくは、昭和の標準的人生を図示したもので、男性であれば、新卒一括採用で正社員になり、終身雇用で定年まで勤め上げる仕事コンプリート人生が提示されており、女性であれば、結婚して、出産して、添い遂げる、家族コンプリート人生が提示されている。ステレオタイプも甚だしいが、確かに昭和という時代にそういう価値観があったのは、皆それなりに認識しているのではないか。

特にここでは、仕事コンプリート人生を大企業型(カイシャ)と分類する。カイシャは、日本社会の普通の生き方の一つである。これは、いまだに上位を大企業が占める大学生就職企業人気ランキングや、大学生のキャリア等に関する価値観調査からも伺える。卒業後の望む働き方において、「できれば新卒で入社した企業・組織団体等で、ずっと勤めたい」が 58.6%と6割近い。多様なキャリア構築が強調される現在でも、カイシャは日本社会の普通の生き方である事が伺える。

普通の生き方②:ムラ

一方で、「昭和のすごろく人生」数字の数字をしっかり見てみると、仕事コンプリート人生を達成出来ていたのは実は約3割しかいない。

では、残りの7割はどのような生き方なのか?ここでまず出てくるのが、地元型(ムラ)という生き方である。ムラとは、地元から離れない生き方であり、地元の中学や高校、大学に行った後、職業に就く。その職業は、農業、自営業、地方公務員、建設業、地場産業など、その地方にあるものだ。地元型がどのぐらいの割合いるかは、定住期間に着目すると推計できる。

20年以上現在と同じ居住地に住み続ける者(三大都市圏を除く)と*Uターン者の数を合わせると、概算で4,590万人(2015年国勢調査及び国土交通省のデータ参照)になる。2023年4月に総務省統計局が概算している日本の総人口は1億2,447万人なので、日本の4割弱の人々がこの地元型(ムラ)に分類されうる。

Uターン者の定義:現在の居住地が三大都市圏以外で、現在の居住地と出身の道県が一致し、他の市町村に住んだこがある者。

カイシャとムラには、それぞれ生き方に特徴がある。カイシャは所得は比較的多いが、労働時間が長く、転勤が多い。ムラは、収入は多くないが、地元の人間関係や家族に代表されるソーシャルキャピタルが豊かだ。またムラに定住し地場があるので、政治も身近だったりする。

カイシャとムラは、日本の様々な制度の基礎的な単位となってきた。わかりやすいのは社会保障制度だ。年金の例を挙げると、大企業型が加入する厚生年金、地元型(特に自営業者)が加入する国民年金基金である。そして、令和2年度厚生年金保険・国民年金事業の概況によれば、厚生年金加入者の受給額の平均は、2020年度末時点で月額14万6,145円であり、国民年金加入者の受給額は、月額5万6,358円である。支給額だけみると、国民年金加入者へのサポートが少ないように思えるが、国民年金はもともと農林自営業者を作られた制度であり、彼らには定年がなく、持ち家があり、野菜や米は自給で、自分の子供達と同居などしていれば、年金が少額でも生きていくのに問題ない。そんなムラの前提が制度に反映されている。

想定外の生き方:残余型

約3割がカイシャ、4割弱がムラという日本社会の普通の生き方ならば、残りの3~4割はどんな生き方なのか?残りは単純にその他であり、典型的な生き方はない。カイシャにもムラにも属さないこの生き方を、残余型の生き方と呼ぶ事にする。彼らは、長期雇用はされておらず、地元に足場がない。典型的な例としては、都市部の非正規労働者が挙げられる。彼らは、所得は低く、地元に繋がりもなく、持ち家はなく、年金も少ない。都市部の非正規労働者に限って言えば、残余型はカイシャとムラのマイナス面を集めた生活を強いられる事が多い。しかし、残余型が必ずしも生活難とは限らない。例えば、フリーランサーの中にも、かなりの収入がある者もいる。

残余型の生き方はいくつか難しさがある。一つ目は、お手本がおらず自分でキャリアをモデリングしていかなければならない点だ。これは残余型に課せられたポジティブなチャレンジという見方も出来る。二つ目は、残余型は日本社会が想定していないグループなので、カイシャ、ムラと比べて政策、社会レベルでの支援、追い風が吹きにくい。例えば、同じ質と量の労働をしていても、カイシャに属するのか、残余型に属するのかで、給与レベルが違うという待遇差が日本社会にはあり、改善が必要とされている。俗に言う、同一賃金同一労働の問題だが、残余型の生き方の難しさを象徴する例ではないだろうか。

現代日本の社会システムは、高度経済成長中の 1960~70年代の日本社会を前提につくられたものであり、カイシャ、ムラが人生の目指すべき普通の生き方だった。しかし、今では前提条件が大きく変わり、目指すべき普通の生き方の答えがないモデルなき時代に突入している。例えば、カイシャの生き方では、転職というオプションが以前よりも身近になり、ムラの生き方では、ムラの強みであった地域社会での繋がりが希薄になり、ソーシャルキャピタルの目減りが顕著だ。それにも関わらず、昭和のすごろく人生を支えた社会システムが、コア部分ではいまだに稼働しているという歪みがある。カイシャ、ムラから外れた生き方(残余型)を模索しようにも、今の日本社会では、残余型が体現すべく多様なキャリアの構築が社会の仕組み上そもそも難しい。これらは、日本国民の多くが認識している社会課題ではないだろうか。

カイシャ、ムラ、残余型の特徴

ここまで、日本人の生き方をカイシャ、ムラ、残余型の3つのパターンに分類し、それぞれの生き方の特徴を考察してきた。以下の図はそのまとめであり、アスリートのキャリアを考えていく際の参考資料として提示する。

日本のしくみとアスリートのキャリア

上記の枠組みを使って、日本におけるアスリートのキャリアについて考えていきたい。現役時のキャリアだけ考えれば、残余型の生き方、日本が想定していない、つまり普通ではない生き方だと言えるだろう。特にプロアスリートの場合は、単年契約が大多数で、競技にもよるが20年以上現役を続けられるのは一握りだ。競技生活を送る場所に関しても、トレーニング環境があるところ、チームスポーツであれば、契約するチームがあるところに限定され、必ずも自身の地元で競技生活を送れる訳ではない。

収入に関しては、トップアスリートであれば一般的なカイシャの正社員よりも給料は高いかもしれないが、多くのアスリートが、日々の生活費と僅かなプラスアルファで競技生活を送っているのが現実だろう。都市部の非正規労働者と同じような収入で生活しているアスリートも数多くいるはずだ。本連載では、全ての競技のアスリートの収入に関しては網羅出来ていないが、プロサッカー選手の収入については、第2回:プロサッカー選手では一生分稼げない現実 【後編】で考察しているので、そちらも参考にして欲しい。

敢えて「現役時のキャリアだけ考えれば」と伏線を張っていたのだが、競技引退後のキャリアまで考えると、アスリートのキャリアは地元型(ムラ)に収束する事が圧倒的に多い。具体例をサッカー選手の引退後のキャリアで考えてみたい。以下は、第3回:引退後の限定的なキャリアパス(前編)に少し手を加えた図の再掲である。

地元型・ムラ

役引退後のサッカー選手のキャリアの多くはムラに収束する。例えば、Jクラブのアカデミーやスクールコーチなどのポジションは割と数が多い。現役時に所属したチームが数チームあるとして、その中で特に想い入れのあるクラブにコーチとしてキャリアをスタートさせる元選手は多い。これは、一般的なUターン、Iターンと変わらない。他にも、縁のある、または、縁の出来た土地でサッカースクールやクラブを始めるのも、地方の自営業という見方をすれば、ムラへの収束と考える事が出来る。

同様に、チーム強化関連のフロント部署に就職する元選手のキャリアもムラへの収束だろう。多くのJクラブが地方にあり、中小企業レベルの規模である事を考えると、いかなる職種でも、かつて所属したクラブで現役引退後のキャリアをスタートさせる事は、ムラという生き方の選択と言える。勿論、スポーツ業界は横の移動がわりと多いので、キャリア途中で転職をする者もいるが、大概は他のムラへの移動と考える事が出来る。

また、現役引退後にかつて所属したチームの土地にある企業に就職するのもムラへの収束だ。更に、身内が自営業を営んでおり、その家業を継ぐというパターンも意外と多い。これも言うまでもなく、ムラへの収束である。自分の周りにも家業を継いだ元選手は割と多く、卸し酒屋、レストランなど、業種は様々だ。他にも現役引退後、教員としてキャリアを再スタートさせる元選手も多いが、これもムラの生き方に分類出来る。

日本社会において、地元型(ムラ)の生き方は、語弊を恐れずに言えば、日本で生きていくための最低限を保障してくれる、キャリアのセーフティネットのような役割をしている。故に、元選手のキャリアの多くがムラという生き方に収束していくのは、ごく自然な事である。

残余型

現役時代と同様に残余型の生き方を選択する元選手もいる。例えば、メディアでの解説者、タレント的な活動を中心にキャリアを構成していく場合は、カイシャ、ムラのどちらにも属さない、残余型の生き方を選択する事になる。以前も述べた通り、メディアでのキャリア構築を模索する場合は、現役時にかなり名前が売れていないと厳しい。現役時に築いたキャラクターや、選手時代の経験を語る事でキャリアが成立するのはとても魅力的に感じるが、そもそも一部の選手にしかアクセスのない選択肢である事は否めない。

また、サッカーの現場について考えると、トップチームの監督、コーチングスタッフは、現役選手と同様に残余型に分類されるだろう。あるいは、サッカー界以外で起業を試みる場合、リスクの取り方や業界によっては、残余型の生き方になる。では、現役引退後の進学や留学はどうだろうか?これもカイシャでもムラでもない生き方の選択であり、残余型に分類されるだろう。一方で、学歴をアップグレードする事は、将来的にはカイシャという選択肢を可能にする一手でもある。これについては後編で詳しく触れたい。

繰り返しになるが、残余型の生き方は、そもそも日本社会が想定していない生き方であり、自身でのキャリアモデリングが必要となる。そのため、明確なキャリアビジョンがないまま残余型の生き方を選択してしまうと、路頭に迷う可能性がある。例えば、サッカー元日本代表MFの奥大介選手。J1通算280試合出場のレジェンド選手だが、現役引退後に交通事故を起こして亡くなっている。現役引退後のキャリアとしては、多摩大目黒高監督、横浜FC強化部長などを歴任したが、最終的には、沖縄県宮古島のリゾートホテルの調理場でアルバイトをしていた。

大企業型・カイシャ

カイシャとは先述の通り、東証一部に上場しているような大企業で正社員を全うする生き方を指す。この選択肢を取る元選手は極めて少ないが、アサヒビールに就職した千代反田充氏、電通を経て現在は早稲田大学ア式蹴球部の監督を務める外池大亮氏など、いくつか例がある。また、サッカーのマネジメント、フロント業務において、大企業型(カイシャ)的な生き方を模索するならば、日本サッカー協会、Jリーグ、WEリーグ等に入局すれば、カイシャ的な生き方が出来る。例えば、Jリーグに勤務する元選手の事例として、黄川田賢司氏のケースは参考になる。

日本の代表的な普通の生き方であるカイシャだが、実は現役引退後の選手の選択肢としては、かなり敷居が高い。勿論、プロサッカー選手を始めとするアスリートのビジネスパーソンとしてのスペックの課題もあるが、実は、それ以上に日本のしくみ的に、競技生活後のアスリートがカイシャに移行するのは想定外なのだ。それはカイシャが、封鎖的労働市場であり、学歴に基づく平等、新卒一括採用、社員の平等、メンバーシップ型など、日本独自の慣行で固められているからだ。これらについては、後編で更に深掘りする。

第7回前編まとめ

第7回前編では、日本の普通の生き方について前提知識を整えた。カイシャ、ムラという、日本社会における2つの代表的な普通の生き方。そして、それ以外の残余型の生き方について、それぞれの特徴を押さえた。その上で、アスリートの現役引退後のキャリアを、プロサッカー選手の具体例を用いて再整理を試みた。

個人的な意見として、日本では、普通の生き方がこうだ!という固定観念が社会で幅広く共有されており、それが個々の人生観を縛り、社会全体の閉塞感を生み出しているように感じる。カイシャ、ムラ以外の人生は否定されているような気分にさせる、そんな社会のしくみがいまだに稼働しているのだ。

この閉塞感を打ち破る一つの可能性として、カイシャの解放、ムラの革命→カイシャ、ムラ、残余型のブレンド→多様性を持った新たな秩序の創造、という流れを期待したい。そして、そこでアスリートは日本社会に対して何が出来るのか?第7回後編では、カイシャのしくみ、日本社会の活路、そしてアスリートの生き方について更に考察を深め、本連載の結びとしたい。

第7回前編の参考記事・データ

  • 日本社会のしくみ雇用・教育・福祉の歴史社会学、小熊英二(2019年)
  • 不安な個人、立ちすくむ国家、次官・若手プロジェクト(2017年)
  • マイナビ・日経 2024年卒大学生就職企業人気ランキング(2023年)
  • 大学生のキャリア等に関する価値観について2022年卒大学生、就職みらい研究所(2022年)

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第7回:日本の普通の生き方、カイシャとムラそしてアスリート?日本社会のしくみとアスリートのキャリア(前編)、いかがでしたか?
今後も連載を続けますので、著者への質問やフィードバックなどありましたら、こちらのお問い合わせフォーム、またはinfo@sportglobal.jpにメールをお送りください。

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