プロフィール
・1989年広島県生まれ
・現在地:ローザンヌ(スイス)
・現職:ビーチバレーボールプロジェクトマネージャー(国際バレーボール連盟)
・海外在住歴:10年8ヶ月(アメリカ6年8ヶ月、スイス4年)
幼少期は、体操、水泳、サッカーを経験したが、小学校での転校をきっかけにクラスメイトに誘われてバレーボールの練習に参加。バレーボールの魅力に取り憑かれるように練習にのめり込んでいき、中高一貫校に進学した理由も、「地元の中学校に男子バレーボール部がない」からだった。大好きなバレーボールに没頭する傍ら、苦手な勉強は全て後回しの高校生活を送り続ける。高校1年生の時に学内から2週間のイギリス短期研修プログラムに参加。帰国後から「将来は海外で働きたい」と海外への選択肢を勝手に検討し始める。進路を決める際、得意科目であった美術が生かせる建築学を勉強したいと決め、海外での就職を目指すには最初から英語で学ぶべきと、奨学金制度が充実しているアメリカでの大学進学を決意。英語の勉強を本気で始めたのは高校2年終わり頃からである。
2007年、高校卒業後に渡米し、待望だった海外での学生生活をスタート。ここからの数年間は簡略するが、語学学校で1年、正規入学後に3度の転校、2度の学部変更を経て、2011年よりスポーツマネジメント学士を取得したウェイン州立大学(ネブラスカ州)にて2年間を過ごす。大学の規模自体は小規模だったが、この大学を選んだ理由は、①学費が安い、②北米スポーツマネジメント学会(NASSM)の基準を満たすスポーツマネジメントプログラムを持っている、③日本人が一人も在学していないから、だった。この大学で過ごした2年間では、ゴルフ大会(Web.comツアー)での短期インターン、大学女子バレーボールチームのホーム戦を実践課題としたイベントプロモーション、同バレーボールチームのオフィシャル プラクティス プレーヤー(NCAA北米大学体育協会に登録される公式練習スタッフ)としてチームを2シーズンに渡りサポートする経験を積む。大学卒業後にはロサンゼルスに移住し、約5ヶ月間、日系スポーツマネジメント会社(MLB関連)でインターンをする。その後はメジャーリーグ、マイナーリーグ、NBAチャレンジリーグにも履歴書を送るも、面接に呼ばれる機会に恵まれず、2014年1月、悔しさと共に約6年半過ごしたアメリカを去ることとなる。
アメリカから帰国後、東京のスポーツマネジメント会社に就職。アメリカで就職出来なかった悔しさから、「次は、大学院を卒業してチャレンジしたい」という湧き上がる思いとの葛藤の日々が続き、帰国後すぐに数年以内にアメリカの大学院に入学するという目標を立てる。その目標を達成するために一度スポーツ業界から離れ、スポーツにも関わりのある他業界で知識とスキルを身につけると決断し、海外メディア媒体の広告枠販売を専門とする広告代理店に転職。新しい職場に慣れてきた2016年初旬、AISTSという大学院がスイスにあることを知り、大学からのニュースレターに登録する。IOC(国際オリンピック委員会)が設立に動いた大学院であること、卒業生がIF(国際競技連盟)に就職していることから、アメリカの大学院という本来の目標にヨーロッパを選択肢として考え始める。結論、AISTS の2016年クラス(Class of 2017)に出願することを決意。理由は、卒業後(2017年末予定)から東京五輪までに約2年半確保でき、国際オリンピック委員会や国際競技連盟等に就職しても数年の経験が積んだ上で東京五輪を迎えることが出来る最後のタイミングだったから。そこから約2週間後の締め切りに向けて急ピッチで出願準備を進める。アメリカの母校の教授に英文推薦状を依頼し、TOEFLを受験、エッセイの添削を繰り返し…. 働きながらの準備は本当に過酷だったが、「2週間だけ…」と言い聞かせながら何度もエッセイを読み直し無事に出願。そして提出を終えた数日後、無事に書類審査を合格したとの連絡を受け、スカイプ面接、合格という流れとなり、2016年10月よりAISTS Class of 2017として入学した。
AISTS Class of 2017 国際バスケットボール(FIBA)本部訪問
アメリカ留学時代に就労ビザを取得するまでは達成できなかったため(OPT資格は保有)、AISTS卒業後に就職した国際バレーボール連盟が海外での初めての就職となった。国際バレーボール連盟はAISTSと同じくスイスのローザンヌに位置しており、大学院在学中から国際バレーボール連盟で働くAISTS卒業生の講義を聴く機会もあった。
何よりの分岐点となったのが、AISTSの実践課題でもある「チームプロジェクト」において、国際バレーボール連盟から依頼されたプロジェクトのメンバーに含まれたことである。メンバーに必ずバレーボール経験者を含めて欲しいとの依頼条件により、クラスでたった1人のバレーボール経験者の私がメンバーに含まれたのだ。このプロジェクトを通じ、月一度の頻度で国際バレーボール連盟のオフィスでミーティングを行うなど、少しずつ競技連盟の雰囲気やスタッフの働き方に慣れていけたことは非常に役に立った。こうして4人で進めたプロジェクトへの高評価から、チーム全員が有給インターンとして1ヶ月間雇用のオファーを受ける。その後、6ヶ月の延長をオファーを勝ち取り、計7ヶ月の有給インターン期間を終え、2018年3月、同連盟ビーチバレーボールイベント部との正式雇用に同意。2020年8月現在も同部署に在籍し、ビーチバレーボールの国際大会、東京五輪プロジェクトにも携わっている。
海外の就職でも日本同様に履歴書(CV)が必要となる。アメリカ留学当時、就職活動の経験もなかった私は、ウェブサイトや大学から配られるCVのサンプルを使って履歴書を何度も書き直していた。今だから言えるが、「現在の私の部署に(当時の)履歴書が送られたら間違いなく面接にも呼ばない」と言い切れることである。CVの書き方、レイアウト、情報を出す順序等で全く異なった印象を与えるため、今でもアップデートの際には非常に気を使っている。人事担当が手に取ってから30秒以内で良い印象を与える。これを理解するまでに何度も失敗を繰り返してきた。
CVの書き方は個々で全く異なるが、こればかりはネイティブに添削を依頼するか、外資企業での採用経験を持つ人などにチェックしてもらうべきである。CVは大学院出願書類にも含まれるため、時間の余裕を持って準備することをお勧めする。
18歳で海外に住み始めたことで、何事も自分で何とかするという問題解決能力と、どこでも自分の強みを活かして生きていけるという対応力/柔軟性が身に付いたと思う。アメリカ留学した当初は卒業なんて遠いゴールだと思いながらその日の課題に取り組む生活だった。その延長として、自分の人生には自分が責任を持つということを自覚しながら生活してきたことも、精神的な成長に繋がったと感じている。
やりたいから挑戦してみる。興味あるから実際に行って見てみる。そんな自分が挑戦し立ち向かう姿を応援してくれ、背中を押してくれる仲間が世界中に出来たことは人生の財産である。留学したから肌で感じ、そこに住んだから理解できることも沢山ある。どんな結末が待っていようが、必ず学べる物があるのが留学の醍醐味だと思う。