筑波大学体育会蹴球部出身で、4年次には副将も務められた伊東朋哉さん。
大学卒業後はドイツ体育大学ケルンの大学院過程であるM.A. International Sport Development and Politics学科に進学しました。
なぜ海外大学院へ行くことを選び、ケルンを選んだのか。
夢に向かい、自分の道を歩み続ける伊東さんのこれまでとこれからを深堀します。
インタビューQ&A
- 初めに筑波大学蹴球部を振り返ってどのような4年間でしたか?
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ものすごい4年間でした。無名の公立高校出身だったのですが、なんとしても筑波生活の4年間でトップチームに上がってプロになるという意気込みで入部しました。
入部直後は、フレッシュマンコースという新入生のみで行われるトレーニング期間が1-1.5ヶ月間あり、その間に実力見られ、フレッシュマンコースが終わると同時に、そこで実力に合ったカテゴリーへ配属されるのですが、入部直後に紅白戦があって、自分的には自分の良さを出せていいプレーができたと感じていました。改めてここから頑張ろうという時にへルニアによる腰の痛みが出てきてしまい、最初は保存療法で治そうと思ったのですが、日に日に悪化し、日常生活も送れないまで悪化してしまいました。そして最終的に手術することになったのですが、手術終わってもなかなか痛みが取れず、痛みがやっと取れてからもゼロからのリハビリが始まりました。一日3-4時間は大学のジムにこもって地道なリハビリをしていたのを覚えています(笑)
サッカーに本格的に復帰できたのは1年次の2、3月。新入生が入ってくるタイミングと同じくらいで復帰し一番下カテゴリーからスタートすることになりましたが、そこから新人戦や、アイリーグなどでの結果から、2年次の終わりの時に初めてトップチームに上がることができました。ただレベルが高くて春に2軍に落とされてしまい、3年次はずっと2軍で過ごすことになりました。
3年から4年に上がるときにトップに再昇格することができましたが、後十字靭帯を怪我してしまい春の終わりにもう一回2軍に落ちてしまいました。4年の前期は2軍のアイリーグだったのですが調子がよくて夏前にもう一回トップチームに昇格することができ、夏の総理大臣杯と関東リーグにスタメンで試合に出ることができました。
また、4年次は副将を務めていて周囲が就職などにも力を入れ始める中で、自分の良さとか自分ができることを理解してやるべきことをやるようにしたのですが、それでも4年間通して前述のような怪我や、脳震盪3回連続でなって、次やったら脳挫傷になるからサッカー辞めなさいということを病院の先生に言われたこともありましたし、サッカーが思い通りにできないことが何回もありました。
そんな中でも、最終的には、トップチームでユニフォームをきて試合に出ることができたので、100%入学時に思い描いた姿ではなかったですが、少なくとも4年間自分を信じてやってきた部分は報われたのかなと感じたので、大学4年間のサッカー生活に悔いはありません。
- 4年間の体育会で得ることができたのはどういうところでしょうか?
- 自分にしかできないことに集中することの大切さを学びました。莫大な部員数がいる中で、自分の良さを出してどう這い上がっていくかということを考えて取り組みましたし、何事も自分よりすごい奴らは数えきれないほどいるし、自分に持ってない部分を持っている奴らも数えきれないほどいる。でも逆に自分にしかできないことが必ずあるし、そこに集中する。サッカーで言えばスピードとかゴール前の泥臭さには人一倍こだわっていました。
もう一つは「常にやるべきことをやる」こと。時間は全員に平等にある中で最終的にどこへ向かっていくのか、そのために何をやるべきなのか考えないと大学生は比較的時間があるのでゆるんでしまうと思います。常に考えて為すべきことを為すことに集中することや、セルフマネジメントの重要性。
あとは仲間の存在もそうですし、地元の仲間や病院の先生、両親など支えてくれる人の数の多さに気付くことができました。
- 大学を卒業して大学院に行くことになった経緯を教えてください。
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大学を卒業した後にサッカーを続ける予定で、J3リーグのトライアウトも受けましたがオファーは貰うことができませんでした。
ただサッカーを続けたかったので、ドイツに知り合いの方がいたこともあり、ドイツでサッカーをすることにしました。
自分の限界までサッカーを続けたい。ただサッカー選手には終わりがあるので、サッカーを続けると同時にその先に繋がる力をつけることは必至だと思っていて、サッカー引退後に他の人たちに負けないように、今後グローバル社会が益々加速していく中で、世界の人たちに負けない力をつけることは必至だと感じていました。
そんな中、筑波大学時代にスポーツ政策学を勉強していて、恵まれてない人たちをスポーツの力で救うということをモットーに,イギリスのプレミアリーグプログラム”Kicks”について学士論文を書きました。その研究を進める中でもっと世界レベルでこの分野を学びたいと思うようになり、大学時代の教授との度重なる面談の中で、ケルン体育大学院M.A. International Sport Development and Politicsを見つけました。
今まで海外経験が全くない中で、世界中から集まる仲間ができる、今まで全く知らなかった世界が見れる。言語も話せるようにならなければいけない環境に身を置くことができる。言語に関しては、英語をビジネスでも問題のないレベルに、ドイツ語は、中級~上級レベルで話せるようになってドイツ大学院生活を終える、という目標を持ってそこを目指すことに決めました。
具体的に大学院に行くこと考え始めたのは大学3年から4年にかけての周りの同期が卒業後の進路に向けて、就職活動などを始める時期でした。
- 筑波大学蹴球部では留学に行くことや海外大学院へ進学する人は多いのですか?
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国内の大学院へ進学する人は多いですが、海外の大学院へ行く人はほぼいないと思います。特に僕の知る限りでは直近でほぼ初めてだと思います。ただ最近ではそういった選択肢を考える人も増えてきているようです。
- 具体的なスケジュールはどのような感じだったのでしょうか?
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2019年12月にインカレで引退し、その翌月の2020年の1月にドイツに渡航しました。
その際に海外の大学院などを受験するにあたって、事前の教授との関係性を持っておくことも重要だと思ったのでドイツまで行き希望するコースの教授に事前にアポを取り、直接会いに行って、「来年ここに来るから覚えておいてくれ」というようなこともしました。
その後、結果的にアプライした後、直接会いに行った教授と最終面接で話して、その後合否が決まることになりました。相手の教授の方も僕のことを覚えてくれていました。
それから希望するケルンの大学院の出願資格の中で英語能力証明が必要で、求められるスコアがIELTSのoverallで7.0以上だったのですが、大学受験の際にセンター試験に向けて勉強していたときから、海外大学院の進路を考え始めた3年次から4年次までほとんど英語の勉強はしていなかったことに加えて海外経験も全くなかったので1年間はIELTSのスコア取得に注力し、2021年の9月に入学することを見据えることにしました。
また、海外大学院にいくことを考え始めた時期から英語の勉強は筑波に留学生として来ていたドイツ人のタンデムパートナーを見つけて週に3回くらい一緒に勉強していて、自分が日本語を教えて、英語とドイツ語を教えてもらっていました。
1年間IELTSの勉強に集中しつつサッカーもしながら、ドイツでIELTSの目標スコアを取得し大学院にアプライしてその後入学、というように全部ドイツでやる計画でしたが、コロナの影響で帰国をせざる得なくなってしまいました。
日本にいる間はIELTSの勉強に集中して社会人チームでコンディション調整させてもらう日々を過ごしていて、Uber eatsでバイトなどもしていました。
大学時代の同期は大企業に勤めていたり、プロで活躍していたりする一方で、自分はコロナで先も見えずメンタル的にきつい時期だったのを覚えています。
ただ、家族や仲間の支えもあり自分で決めたことだから何としてもやり通すという気持ちで乗り切ることができました。
IELTSは2021年の1月に取得しました。2020年の4月で初めてIELTSを受験したので、8ヶ月間くらいで目標スコアであったoverall 7.0を取ることができました。
それ以降は2月から4月にかけて大学院へのアプライの準備をしていて、7月にオファーをもらうことができ、厳密に言えば大学院のオファーをもらう前なのですがドイツで所属していたサッカーチームに戻るためにコロナによる制限等も緩和されていたので7月に渡航した、というような流れです。
- なぜケルンの大学院に行くことにしたのですか?
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仕事とかビジネスとは別軸、自分の人生におけるミッションのような話にはなるのですが、自分自身がサッカーに人生を救われ、サッカーがあったから今の自分があるといえます。
それほどまでにスポーツの力で人を救うことができると身をもって感じてきました。
だからこそ将来は、自分が魅せられてきたサッカーというスポーツを通して経済的にだったり環境に恵まれていない子供たちを含めた、様々な人に人生においての生きがいを与えていきたいと思ってきました。
この思いを実現することができるようなプログラムを自分で作り、運営することができるようにするために、ドイツやイギリスといったSport Development過程が充実している国でプログラムの中身や実際に作るための設計等、具体的なことを学びたかったので、中でも自分に最も合っていると感じたドイツ体育大学ケルンの大学院課程のInternational Sport Development and Politicsに行くことに決めました。
全ての始まりは、中学校の時。筑波大学へ進学するという意志を持ったのも、筑波に進学してプロサッカー選手になると決めたのも、その後、サッカーを通して人を救っていきたいと思ったのもその時でした。
- 具体的に勉強の中身としてはどのようなことを勉強されるのでしょうか?
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とにかくスポーツを幅広い分野と絡めて学んでいくのですが、「スポーツを通して社会をよりよく良くしていくためにはどうすれば良いか」というような視点は一貫していると思います。
スポーツ×ジェンダーやSDGs、教育、社会などといったことから、オリンピックやワールドカップといった大規模スポーツイベントの課題などに関して議論したり、本当に様々なことを学びます。
基本的には何らかの「問題解決」をするための授業が多い印象です。現状の課題点を挙げてそれに関してプレゼンテーションやディスカッションをする機会がとても多いです。
マスターと言っても自分の興味ある大まかな方向性を定めて進学したので、その中でも興味あるなしは分かれるので緩急をつけて授業を受けてきたと思います。
例えばSport Developmentは興味ありましたが、Sport SociologyやOlympic Historyはあまり興味が持てなかったのであまり覚えていないです(笑)
様々な分野を横断的に学ぶ分、他のクラスメイトの細かな関心もやはり異なることは多いのでそれも面白さの一つかもしれないです。
またこのコースの特徴としては、おおよそ30人弱くらいの少人数のコースなのですが、そのうちの10~13人くらいがドイツ人で他の10人くらいが他のヨーロッパの国出身、EU圏外の国出身者は7人(日本、中国、アメリカ、ブラジル、ケニア、カザフスタン)と多様な国籍、バックグラウンド出身者が多いことです。そうした背景からディスカッションひとつとってもいろんな意見だったり議論が生まれるので面白いです。
- もう少しで大学院を卒業されるようですが振り返ってみていかがでしょうか?
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もう最高の2年半だったと心から言えます。もちろん、初めての海外生活、何もわからないドイツ語、練習内容すら全くわからないサッカーチームでの練習、住民登録や、ビザ取得など、大変だった、辛かったことなんて挙げ始めればキリがありません。
でも、そんなしんどかったことなんてなんとも感じないくらい得たものの方が遥かに大きかったです。かけがえのない仲間が世界レベルでできたこと、日本の生活では味わえない経験を数えきれないほどできたこと、成長できたこと、こっちもあげればキリがないです。でも今後海外を目指す人に一つだけ言えることがあるとすれば、自分の中の軸というか今(大学院の専攻)と将来(仕事、やりたいこと)を持つことの大切さですかね。
やはり、海外に生活しているというステータスだけで満足してしまったり、曖昧な目標で海外生活をしたりしていると、どうしてもいつの間にか居心地が良くなってしまってダレてしまう部分は出てきてしまうと思います。外国といえど良くも悪くもだんだん慣れていくので本当に自分次第だなと思います。そういった意味で自分の軸を明確に持つのは重要だと感じます。
- 海外の大学院に留学して特によかったと感じていることはどのようなところでしょうか?
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難しい質問なのですが、「人」ですかね。今までも中学、高校、大学とかでこいつらと会えただけで価値あるなと思えることあるじゃないですか。それです。
もちろん語学面とか、国際経験とか、学位とかいろいろあるのですが、この人たちのためにまたドイツに行こうと思えるような人に恵まれたところと、そのような友人を世界中に持つことができたところです。
- 体育会での経験が大学院留学などで活きていると感じたことはありますか?またあるとしたらどのようなところでしょうか?
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セルフマネジメントの部分ですかね。あとは周囲と良い関係性を築くことや、しんどいことでも何とかしてやろうというマインドセットは間違いなく活きている部分だと思います。
そして先ほども述べた、「自分が為すべきことをすること」や、サッカーでも勉強でもどの分野でも言えることだと思うのですが、「自分にしかできないことは何なのか」といった自分の軸を意識して生活する部分ですね。
- 卒業後等今後に関して聞かせてください
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現在はサッカー選手をしながら、大学院生、少年サッカーのコーチ、かつドイツの企業で働いているのですが、卒業後は日本に戻り、様々な分野でのビジネスや経営の知識を身に着けるために戦略コンサルティングのフィールドで闘っていく予定です。それと同時にもちろん自分の限界が来るまではサッカーを続ける予定です。
また、先ほど述べたスポーツを通して恵まれているとは言えない子供たちに向けたプログラムを創りたいですし、最終的に大きなビジョンとしては「朋哉がいなかったらできない」というような世界と日本をつなぐようなことをしたいと考えています。自分の影響力の範囲に集中しつつ世界を変えていけるようなことをしたいですね。
編集後記
大学サッカーの日本トップレベルの環境で4年間競技に打ち込みながらも自身の使命と向き合い、未来を見据えながら行動を起こし人生を前に進め続ける姿勢が本当に印象的でした。
大学での4年間で自問自答し続けた「自分にしかできないことは何なのか?」ということを環境が変わっても問い続け、コロナなどで苦しい状況も乗り越えながらも、単に留学に行くことだけに満足せず自身の明確な軸や目標を持ち、それに向かってやるべきことをやり続けていく姿は多くの人に大きな刺激や学びを与えてくれるものであったのではないでしょうか。
伊東さんお忙しい中ありがとうございました!