プロフィール
・1978年生まれ、群馬県桐生市出身
・現在地:クアラルンプール(マレーシア)
・現職:技術部グラスルーツ発展業務担当(アジアサッカー連盟)
・海外在住歴:16年(オーストラリア1年、イギリス6年、マレーシア9年)
英国前田学園London Japanese Junior Football Club (LJJFC)にてコーチ兼マネージャーを務め、2011年よりAFCアジアサッカー連盟に入局。現在技術部にてグラスルーツ発展業務を担当。スポーツマネジメント博士号(マレーシア大学)。サッカーはプレーするのが一番好き、次に観る、働く、学ぶ、指導する。
小学校・中学校は野球に打ち込み、高校でサッカー部に所属。とにかく、朝から晩まで毎日サッカーにのめり込む高校生活を経て、大学は地元の群馬大学工学部に進学。建設工学科の大学院まで行った。派手さはないが何不自由なく生活し、形は変われどいつも何かに打ち込み、とにかく毎日夢中になって楽しむ日々。しかし大学院に進学する辺りで、ありがちに将来に対して疑問を持ち始める。「このままでいいのか?」
大学院一年の時に、転機が訪れる。まず、英会話に興味を持ち始めたこと。次に、同年代のサッカー選手が海外で活躍していて、何故だかわからないが自分も彼らのように海外で盛り上がりたいと思ったこと。そして、その時メジャーリーグで活躍する新庄選手の通訳を務める方の記事を読み、なるほど、それは面白そうだと思ったこと。それらのことが転機となり、海外でサッカーに携わる仕事をしていこうということに自分の中でなった。そう決まった時に、なんだかすべての辻褄が合ったような気がした。
まずは、地元にいた外国人(学校や英会話学校の先生)の集まりに顔を出し、共に酒を飲み、サッカーを一緒にやることから始めた。大学院一年終了後に休学し、ワーキングホリデーでオーストラリアを一年歩く。群馬大学大学院を卒業し、2年かけてイギリスの大学院(スポーツマネイジメント)に留学するための資金調達と留学準備を行う。2005年渡英、ロンドンメトロポリタン大学大学院入学。2006年の大学夏休み中インターンを命題とし、約30のサッカークラブや協会にレターとメールを送る。インターン後の就職オプションを強烈に意識したため、対象は規模が大きく国際的で、「日本人」が獲得対象になり得る組織を選んだ。結果、AFCアジアサッカー連盟のみがインターンを受け入れてくれた。
2007年、ロンドンメトロポリタン大学大学院を卒業した際、AFCでの受け入れはなかったが、幸いにもロンドンで職を得る。英国前田学園傘下ロンドンジャパニーズジュニアフットボールクラブ(LJJFC)で得たマネージャー兼コーチとしての経験が、サッカーという世界で働くための基礎を築いてくれた。クラブ、大会、コーチング、指導者養成、協会、サッカー発展プログラムなど、サッカーに関係する多くの要素に関わることにより、サッカー界における一つのラインを理解できたのは大きい。
2011年9月、AFCの技術部に就職。ロンドンでは仕事にも友人にも恵まれ、イギリスはサッカーの環境という面ではとてもエキサイティングだったが、アジアという舞台はそれ以上に私を魅了した。そして、アジア全体のサッカー発展に携われるという面で、私にとってAFCは魅力的な組織であり続けた。この時34歳、正直予定よりも早くアジアに到着した。入部当時は指導者養成に携わる予定であったが、事情により、交渉の末、2012年からグラスルーツ発展業務を担当させてもらえることになった。ここも一つの転機と言えるだろう。以降、アジアのグラスルーツ発展という大きな命題に集中して取り掛かっている。また、技術部内の指導者養成・エリートユース・女子という分野とも協力しながら進んでいるため、日々学ぶことは多い。
好きな言葉
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
Mahatma Gandhi (ガンジー)
(明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ)
馬鹿になれ!
アントニオ猪木
感謝に敵なし、反省に卒業なし
不明(妻の実家のトイレに貼ってある言葉)