第1回~第4回までは、どちらかと言えばプレーヤー、本連載で言えばプロサッカー選手自身のキャリアがどんなもので、プロサッカーという経験でどんな力が培われるのか?に焦点があった。第5回以降は、プロサッカー選手、アスリートを取り巻くコミュニティ、更にその先の日本社会という外部環境に焦点を移して、協会、コーチ、リーグ、日本の雇用の仕組みなどを取り上げていく。

まず第5回では、サッカー界、日本、世界のスポーツ界全般における、アスリートのセカンドキャリア、デュアルキャリア施策等を紹介していく。アスリートの引退後のキャリアは、メディアでの報じられ方もあり、何となく海外では全てうまくいっている印象があるのではないか?その真偽も掘り下げていきたい。

著者プロフィール

阿部博一(アベ・ヒロカズ)
現在地:クアラルンプール(マレーシア)
職業:アジアサッカー連盟(AFC)Head of Operations(審判部)
登場人物B

1985年生まれ、東京都出身。道都大学卒業後、V・ファーレン長崎にサッカー選手として加入し、3シーズンプレー。最終年はプロ契約を結ぶ。2010年のシーズン終了後に戦力外通告を受ける。その後、米カリフォルニア大学サンディエゴ校に進学し、国際関係学修士を取得。2014年に三菱総合研究所へ入社。スポーツ及び教育分野の調査案件に従事。2016年よりFIFA傘下で、アジアの国・地域のサッカーを統括するアジアサッカー連盟(AFC)にて勤務。英検1級、プロジェクトマネジメントの国際資格PMP(プロジェクトマネジメント・プロフェッショナル)を保有。現在、国際コーチ連盟(ICF)の認定コーチ(ACC)プログラムを受講中。趣味は筋トレ。二児の父。
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Jリーグのキャリアサポートの変遷

本連載の主旨は、プロサッカー選手のキャリアを軸にアスリートのキャリアを考えていく事なので、まずはJリーグの取り組みを見ていきたい。本連載の第1回~第4回までを読んでくださった方は、以下のように思っているかもしれない。

「Jリーグは一体何をしているのか?」

「選手が競技引退後に路頭に迷わない仕組みづくりはしていないのか?」

結論から言うと、Jリーグはめちゃくちゃ真摯に取り組んでいる。むしろキャリアサポートでは、完全に日本スポーツ界をリードしており、我々が思っている以上にしっかりした制度があり、長い歴史を持っている。その歴史を紐解いていく中で、アスリートのキャリア支援の構造的な問題も抽出する事が出来るので、何がともあれ、Jリーグのキャリアサポートの変遷とマイルストーン(以下の図参照)の概要を見ていきたい。

キャリアサポート期(1993~2009年)

考えてみれば当たり前なのだが、プロサッカー選手のキャリア施策が出てくるには、プロサッカー選手が存在しなければならない。故に1993年のJリーグ開幕は、ひとつの大きなマイルストーンになる。

 Jリーグの開幕は1993年だが、選手のプロ化の動きは更に早い段階で起きており、例えば、1969年創設の読売クラブは、当時から選手に対してサッカーをする事に報酬を支払っていた。1980年代からはサッカーのプロリーグ化の動きが顕在化した事もあり、選手の実態はアマチュアからプロへと転換し始めていた。その中で、公式な日本のプロサッカー選手第1号として、奥寺康彦氏、木村和司氏が1985年にスペシャル・ライセンス・プレーヤー(実質的なプロ契約)として、日本サッカー協会(以下、JFAと表記)に登録されている。

 Jリーグ開幕当初は、オリジナル10と呼ばれる10チームしかなく、リーグもJ1リーグのみだった。概算では、約300人(10チーム×30人)のプロサッカー選手が誕生した事になる。これは同時に300個のセカンドキャリアが生まれたという見方も出来る。それが2022年現在では、1740人(58チーム×30人)という数まで増えている。つまり1740個のセカンドキャリアが将来的に存在するわけだ。

本シリーズ関連記事参照→第1回:Jリーグの拡大・選手の低年齢化が意味するセカンドキャリアの伏線

 Jリーグ開幕の3年後の1996年には、もう一つのマイルストーンが達成される。それは、プロサッカー選手の労働組合的な組織であるJリーグ選手協会の設立である。初代会長は、柱谷哲二氏が務めている。その後2010年には、組織名を日本プロサッカー選手会(以下、JPFAと表記)に変更し、現在に至る。選手のウェルフェアを第一義的に考える事が出来るJPFAの設立は、非常に重要なマイルストーンだ。

 そして、Jリーグが開幕して10年にも満たない2002年には、Jリーグキャリアサポートセンター(以下、CSCと表記)が設立される。これは、日本スポーツ界でキャリア施策が初めて具現化した事業であり、その後CSCは、日本プロ野球機構セカンドキャリアサポート(2007年)、日本オリンピック委員会キャリアアカデミー(2008年)など、他競技団体のモデルケースとなる。冒頭でJリーグが選手のキャリアについて真摯に向き合っていると述べたが、その理由の一端はこの先見性にある。

 個人的に、CSCがJリーグ事務局内に設置されたのは興味深い。セカンドキャリアは、基本的には選手個人の問題であり、仮に組織的サポートをするのであれば、選手の事を第一義的に考える事が出来る組織、つまりJPFAが率先してやるべき事業だと思うからだ。実際には、JPFAのマンパワーと予算の制限が理由で、Jリーグがイニシアティブを取り、選手の移籍金の一部を原資に事業を始める形となった。

 CSCの具体的な事業は、就職情報の提供、語学やPC講習などのスキル取得のための助成金制度(80%程度の費用を助成)インターンシップ機会の提供就学支援などの機能があった。これらは一般のキャリア施策としても極めてスタンダードなものだ。また、JPFAと協同でJリーグ合同トライアウトも開始した実績がある。自分の選手時代を振り返ると、CSCの助成金を活用して英会話レッスンに通っていた選手がいたのを思い出す。また、就学支援サポートを受けて國學院大學に進学した知り合いもいる。

 キャリアサポート期(1993~2009年)の特徴は、プロ化した選手のキャリア問題の顕在化、その解決策として、引退後のキャリアトランジション支援に焦点を置いているところだ。日本初のプロスポーツリーグの開幕は、予期せぬ副産物としてプロサッカー選手のセカンドキャリア問題を生み出した。物凄く単純化すると、「おいおい、現役後のプロサッカー選手の人生やべー事になってんぞ。」という気づきと、「せめてPCぐらい使えないと仕事見つからんぞ。」というリアクションを取ったわけだ。ちなみに日本初のプロスポーツリーグはサッカーではなく、野球では?という指摘はとても重要なポイントなので後編で改めて取り上げたい。

キャリアデザイン期(2010~2018年)

「Jリーグすごい!CSCの設立にてプロサッカー選手のキャリア問題は解決!」となっていれば、自分はそもそも本連載を始めていないだろう。選手のプロ化によって出てきたキャリアの問題は、我々が思っているより複雑だった。何が起こったかの事実だけ先に把握しておく。2002年設立のCSCは、2010年には、その舵をキャリアサポート業務から、アカデミー選手を対象としたキャリアデザインを支援する選手教育に大きくシフトした。そして、その数年後に*CSCは廃止された。

*CSCは廃止されたが、キャリアサポート事業は現在(2022年2月現在)まで継続している。

 このシフトの原因は、CSCへの選手の参加率の低さなのだが、その理由を掘り下げる事がキャリアサポートの難しさを理解する上で重要になる。以前、実際にCSCの担当者と議論した事があり、その時の話を個人的に解釈した考察も交えながら話を進めていきたい。

 まず一つ目は、思っていたより現役引退をする選手数が少なかった事だろう。第3回:引退後の限定的なキャリアパス(前編)に詳しく書いてあるので、是非読んで欲しい。サンプルとして2018年のプロサッカー選手の出入りを見てみると(以下の図参照)、契約満了になる選手①565名(全体の35.3%)となってる。仮にこの565名がそのままCSCの対象となっていれば、CSCの事業性と社会性の両方を担保出来たはずだ。実際は、①565名のうち大半はチームを変えたり、リーグレベルを落としたりしながら、次のステージへ移り現役を続けており、②49名(契約満了選手の3.1%)のみしか実際には引退していない。2010年以前は、チーム数が40クラブにも達していなかった事を考えると、当時の引退選手数はもっと少なったと考えられる。毎年数十名程度しか対象者が出てこないとなると、CSC事業がJリーグ全体の利益に資するという正当性を主張するのが難しかったはずだ。

もう一つは、選手の引退後のキャリアに対する意識の低さだ。CSCは引退を迎えた選手のみならず、現役選手にも門戸を開いていた。しかし、CSCの扉を叩くのは、何らかの形でJリーグ、JPFAと繋がりがある選手、または、キャリアに対する意識の高い選手のみだった。CSCのこの経験は、選手自身が自分のキャリアに積極的になる自覚形成の方が、語学やITなどのリテラシー、テクニカルスキルよりも、より重要で効果的という結論に繋がる(以下の図参照)。そして、職業観の醸成という一つのキーコンセプトが導き出される。

*スキルピラミッドについては、第4回: 気合、根性、忍耐?サッカー・スポーツを通じて培われる力(後編)を参照。

CSCで蓄積した知見を活かして、2010年からは、主に以下の図にある施策を選手のキャリアのために実施している。顕著な変化として、メインの介入年代がユース世代になっている。鉄を熱いうちに叩き、職業観を形成するのが目的だ。キャリアサポートをするのではなく、キャリアデザインをする。これがキャリアデザイン期(2010~2018年)の大きな特徴だ。事業実施体制としても、CSC廃止後の2013年には、人材教育・キャリアデザインチームがJリーグ内に立ち上がっている。

スポーツキャリア期(2019年~)

Jリーグの選手のキャリアサポート、デザインは更に進化を続ける。2019年にJリーグは、2030フットボールビジョンを発表した。その中で、人材育成に関しては、“世界でもっとも人が育つリーグ”をスローガンに掲げ、Project DNAを開始した。DNAはDeveloping Natural Abilities(個人が既に持っている能力)と遺伝子のDNAを掛けており、本プロジェクトは、特に21歳以下の選手に焦点を当てている。

Project DNAには次の6つのプロジェクトがある(以下の図参照)。アカデミービジョン&ストラテジー、アカデミー人材育成、アカデミーサポート、アカデミー評価、アカデミーゲーム、アカデミー教育。選手のキャリアに関する施策は、主にアカデミー教育事業(以下の図赤点枠)として実施されていく事になる。

Project DNAが開始されてまだ日が浅い事もあり、何かを結論付けるのは難しいが、今後の方向性の個人的な予測を述べるなら、ユース年代からプロレベルまで、サッカーに本気で取り組んで得た経験とスキルが、そのまま選手のキャリアのプラスになる。そんな人材育成の実現に向かって進んで行っているように見える。語弊を恐れずより単純化して言うならば、理系人材が採用においてプレミアムがあると考えられるように、「サッカー選手≒価値のある人材」と自動的に認識されるようなレベルを目指しているように思う。競技者としてのキャリア、つまり、スポーツキャリア自体の価値を上げる努力を、Jリーグは今後も続けていくはずだ。

ここまで、Jリーグのキャリアサポート事業の変遷を辿ってきたが、かなり印象が変わったのではないか?そう、めちゃくちゃ真摯にやっているのである。後編では、日本の他競技、そして海外におけるキャリアサポートの仕組みを考察していくのだが、前編の締め、そして後編への導線として、誰がセカンドキャリアの面倒を見るべき?という論点に触れたい。

誰がセカンドキャリアの面倒を見るべき?

今回の話の中で、JFA、Jリーグ、Jクラブ、JPFAと様々な組織が登場した。外部の人間からすると、これらの組織は一枚岩に見えたりするのだが、実態は別組織であり、守備範囲も異なる。

 プロサッカー選手のキャリアの問題があると、Jクラブ、Jリーグは何をしているのか?という論調になりがちだが、例えば、Jクラブにしてみれば、基本的には、リーグ成績を上げるためのチーム強化として選手と契約を結び、報酬を支払っているわけで、また、多くの選手が傭兵的にチームを去り様々なクラブでプレーをする中で、選手の引退後のキャリアまで責任を取る謂れはないはずだ。勿論、選手とクラブの関係性は紙面上の契約だけで語れるものではなく、それ以上の社会資本を生み出すが、これは別トピックなので、今回は深入りしないでおく。

 では、プロサッカー選手のキャリアに関して一番インセンティブがあるのはどの組織か?それは先での述べたようにJPFAだろう。プロサッカー選手の法的地位、引退後のキャリアなどは、JPFAの一丁目一番地の関心領域であるはずだ。だが、JPFAは単独で事業を展開するための組織体制と予算がないため、Jリーグと協同しているのが現状だ。選手会が十分なマンパワーと潤沢な資金を有さない限り、リーグや協会に頼らざる得ない。また選手会がそもそもない、または機能していないスポーツの場合、リーグ、協会が選手のキャリアに対して興味を示さない限り、キャリア施策の事業化は難しいという課題は覚えておきたい。

 そして、どの組織が選手のキャリア施策を実施するかによって、救われる人間が選ばれているという事実も忘れてはいけない。今回紹介したJリーグのキャリア施策の対象は、基本的にはJクラブ所属のユース、プロ選手だ。そうなると、例えば、日本フットボールリーグ(以下、JFLと表記)のトップアマチュア選手のキャリアを考える場合、誰が一番真剣になるべきだろう?彼らはJリーグ、JPFAの管轄外だ。JFLを運営するのはJFAなので、JFAがイニシアティブを取るべきか?それとも選手の所属クラブが気を利かせるべきか?どこまでをアスリートとして捉えて施策を実施していくか、それが中央競技団体であるべきか、といった議論は丁寧にしていかないと、「表面上やっています!」だけの形骸化したキャリア施策が跋扈する。アスリートのキャリア施策の構造的な課題は、後編で日本、海外の施策を一通り網羅した後に、改めてまとめたいと思う。

第5回の参考記事・データ

Jリーグ公式ウェブサイト

Jリーグにおけるキャリアの転機 – キャリアサポートの理論と実際 (2010)

アスリート・キャリアに関する国内研究の動向と課題:スコーピング・レビューを通じて(2021)

トップアスリートのセカンドキャリアに関する研究序説(2012)

人生100年時代を意識したJリーガー年齢の基礎分析(2019)

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【サッカー選手のキャリアを通じて考えるアスリートのセカンドキャリアの核心】第5回:Jリーグは一体何をしているのか?日本、世界のアスリートのキャリア施策(前編)、いかがでしたか?
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