第5回の前編では、Jリーグのキャリアサポートの変遷を紐解き、中編では日本のスポーツ政策約60年分を振り返りながら、日本のアスリートのキャリア施策を俯瞰した。正直中編はやりすぎた感があるので、後編は海外のアスリートのキャリア施策をすっきりとまとめて第5回を結びたい。
「海外のアスリートは自立しており、競技引退後のキャリアもうまくいっている。」
この真偽を確かめていくが、まず、海外と一括りにするのは過剰に一般化しすぎだろう。日本が海外をベンチマークする際は、大概、G7諸国や特定スポーツ強豪国、サッカーで言えば欧州5大リーグ(イタリア、スペイン、フランス、イングランド、ドイツ)の場合が多い。そして、結論から先に言ってしまうと、欧米のスポーツ強豪国でも、セカンドキャリア問題は認識されており、全てがうまくいっているわけではない。
著者プロフィール
- 阿部博一(アベ・ヒロカズ)
現在地:クアラルンプール(マレーシア)
職業:アジアサッカー連盟(AFC)Head of Operations(審判部) -
1985年生まれ、東京都出身。道都大学卒業後、V・ファーレン長崎にサッカー選手として加入し、3シーズンプレー。最終年はプロ契約を結ぶ。2010年のシーズン終了後に戦力外通告を受ける。その後、米カリフォルニア大学サンディエゴ校に進学し、国際関係学修士を取得。2014年に三菱総合研究所へ入社。スポーツ及び教育分野の調査案件に従事。2016年よりFIFA傘下で、アジアの国・地域のサッカーを統括するアジアサッカー連盟(AFC)にて勤務。英検1級、プロジェクトマネジメントの国際資格PMP(プロジェクトマネジメント・プロフェッショナル)を保有。現在、国際コーチ連盟(ICF)の認定コーチ(ACC)プログラムを受講中。趣味は筋トレ。二児の父。
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海外のアスリートキャリア施策のトレンド
ヨーロッパ諸国、アメリカ、オーストラリアなど諸外国のアスリートキャリア施策を紐解くと、1970年代頃に開始された引退間近、引退後のアスリートに対する職業訓練や就業支援、つまりセカンドキャリア支援に端を発している。その後、それでは遅すぎるという問題認識が生まれ、デュアルキャリアという概念が出てくる。デュアルキャリアに関しては、2012年にEU諸国がコンセプトをまとめたEUガイドライン2012(EU Guidelines on Dual Careers of Athletes)を発表している。現在では、より包括的(Holistic)なアプローチが強調されるようになっており、教育や仕事との両立、引退後の労働市場への移行のみならず、スポーツを通じた人間的成長、自己実現を目指すという方向性に切り替わってきている。
さて、本連載の読者の中には「どこかで聞いた話だな?」、と感じている方もいるかもしれない。諸外国のアスリートのキャリア施策の一連の流れは、前編、中編で紹介してきた日本のケースと酷似している。元も子もない事を言ってしまえば、日本政府が何か新しい施策を打ち出す時のお作法として、当該トピック先進国の事例調査という段階を必ず踏む。中編で述べた通り、日本のスポーツ政策は2000年まで本格化しなかった事もあり、海外に先進事例を求めるのは自然な流れだろう。つまり日本で実装されたアスリートのキャリア施策は、諸外国の先進事例のやり方を少なからず参考にしている。先進事例を羅列するだけだと資料集になってしまうので、ここでは諸外国の事例の中でも、ロールモデル事例やユニークな事例を紹介していきたい。
オーストラリア:Athlete Career & Education Programme
事例紹介の一番最初がオーストラリアである事に違和感を感じる読者もいるかもしれない。しかし、オーストラリアのエリートスポーツを所管しているオーストラリアスポーツ研究所(Australian Institute of Sport、以下AISとする。)は、日本の国立スポーツ科学センターのモデルとなっており、また、AISが実施したアスリートのキャリア施策であるACEは、イギリスがスポーツ政策の参考にするなど、先進的な取り組みとして国際的な評価を受けている。
AISの設立経緯は、1970年代に遡る。オーストラリアは、1976年に開催されたモントリオールオリンピックでオーストラリアは金メダルをひとつも獲得できなかった(金メダル0個、銀メダル1個、銅メダル4個、計5個)。この事実を重く受け取った政府は、1981年にトップアスリートの発掘、育成を目的とするAISをキャンベラ郊外に設立した。他のスポーツ大国(アメリカ、ロシア、中国、イギリス等)と比べて人口が少なく(約2,000万人、2000年時点)、貴重なタレントを取りこぼしなく発掘、育成しなければならないという危機意識もAIS設立の要因だと考えられる。
当時フルタイムでトレーニングをしていたアスリートは数少なかったが、AISが選手寮を用意した。フルタイムのトレーニング環境を整備し、スポーツ医科学の研究及びサポートを開始したのだ。その結果は顕著に表れる。2000年のシドニーオリンピックでは、AISでトレーニングを施された選手達が活躍し、金メダル16個、銀メダル25個、銅メダル17個、計58個のメダルを獲得した。続く2004年のアテネオリンピックにおいても金メダル17個、銀メダル16個、銅メダル16個、計49個のメダルを獲得している。
一方で、AISの担当者はアスリートのキャリアという点で懸念を抱いていたようだ。オーストラリア中からアスリートを強化拠点に集めて、超人的な記録、パフォーマンスを目指しトレーニングを積ませる。だが、彼らの人間としての成長や競技引退後のキャリアの担保をどうするか?という問題に直面したのである。中編で述べた、限定的な競技者キャリア期間×競技の高度化による専念の必要性=アスリートのキャリア問題という構図がここでも例外なく当てはまる。
AISは、この問題認識に向き合い「ベストパーソンがベストパフォーマンスを生む」、という価値観を醸成し、アスリートを包括的に教育していく方向に舵を切った。それが一つの形になったのが、1995年に開始されたACEである。ACEは大きく4つの領域をカバーするプログラムだ(以下参照)。AISはACEを通じて競技現役期から引退期までを包括的(holistic)にサポートする仕組みをアスリートに提供した。施策内容自体はそこまで目新しいものではないと感じるかもしれないが、1990年代のアスリートのキャリア施策としては、かなり先進的な取り組みである。
ACEはその後も進化を続け、2022年の現在では、Athlete Personal Developmentという更に包括的なプログラム(以下参照)が提供されている。これも中編で述べたが、スポーツロジックを優先出来るAISという組織がオーストラリアで設立された事が、先進的なアスリートのキャリア施策に繋がったのは間違いないだろう。
イギリス:The Talented Athlete Scholarship Scheme
スポーツ政策のみならず、各分野で先進事例の多いイギリスだが、アスリートのキャリア施策も例外ではなく、TASSという包括的なプログラムを提供している。TASSは2004年に設立された、アスリートのキャリアを包括的にサポートするプログラムであり、以下の3つの目的を掲げている。
- エリート競技者に高等教育の機会を与えること
- 高等教育機関を活用してエリート競技者を養成すること
- エリート競技者のキャリア形成支援をすること
対象者は16歳以上であり、“the cream of the crop”という表現が使われているのが印象的だ。つまりトップオブトップのアスリートのみが対象になっている。イギリスでは伝統的に、大学が学生アスリートに優遇措置をとっていた事もあり、TASSの特徴としては、主に大学をハブ機関として認定し、各大学が独自のプログラムパッケージを提供するというスタイルを取っている。サポート内容は、スポーツ医科学サポート、ライフスタイルサポート、競技に必要な合宿、用具等の経費サポートなどだ。イギリスには約160校の大学が存在するが、39大学(※2022年6月現在)がTASSの認定を受けている(以下参照)。ケンブリッジ大学、ロンドン大学キングス・カレッジ、ラフバラ大学など、名門大学も名を連ねており、大学を全面的に活用しデュアルキャリアを担保する方向性がある。2022年現在、ケンブリッジ大学には、11名のTASSアスリートが所属しているが、国の最高学府に、オリンピック・パラリンピックレベルのアスリートがこれだけの人数在籍しているのは、驚異的ではないだろうか。
2004年のプログラム開始から、TASSには、6000名以上のアスリートが参加しており、2021年に開催された、東京2020オリンピック・パラリンピックでは144名のTASSアスリートが参加し、15個の金メダルを含む66個のメダルをもたらした。アスリートが現役中に引退後を見据えて行動すると、「競技に100%集中していない」、という見方をされがちだが、デュアルキャリア施策の画期的なところは、デュアルキャリア施策を通じてアスリートの総体的な人間形成を育み、その結果として競技力も向上する。総体的な人間形成→競技力向上というロジックを構築しているところだ。実際にEUガイドライン2012では、デュアルキャリアの有用性として、競技への集中力、モチベーション、コミットメントの向上を挙げている。TASSプログラムの成果は、この仮説をサポートする結果になっている。
ここで日本のケースを考えてみる。中編で述べた通り、日本のエリートスポーツは学校にインストールされ、その後、大学と企業を中心に発展していった経緯がある。更に言えば、当初は東京大学、筑波大学、早稲田大学、慶応大学など、高学歴大学を中心にスポーツが持ち込まれた。1912年ストックホルム大会に出場した日本初のオリンピアン三島弥彦氏は、東京大学の学生だった。その後、1976年モントリオール大会まで、数多くのアスリートが東京大学から輩出されている(以下参照)。
1980年代以降、部活動、体育会系を取り巻く規範の変化、スポーツの専門性の高度化、プロ化などにより、高学歴大学&アスリートという文武不岐は徐々に薄れていってしまった。日本のアスリートの引退後のキャリア、特に企業に就職というパスウェイを考える場合、学歴は重要なファクターになる。これは第7回で詳しく触れる予定だが、日本の労働市場は学歴の下に平等という特徴があるので、もし文武不岐の文化が日本スポーツ界で堅持されたならば、少なくとも学歴スクリーニングで就職難に直面するアスリートはいなかっただろう。参考事例として、ファジアーノ岡山で長らくプレーした久木田紳吾氏のケースは興味深い。久木田氏は、東京大学出身初のプロサッカー選手で、2019年シーズン31歳まで現役でプレーした後、大手ソフトウェア会社SAPジャパンに就職している。SAPジャパンが外資系というのもあるが、30歳を越えた人材がすんなり採用されるというのは、日本の労働市場では異例だ。
イギリスのTASSのように、大学を中心にアスリートのキャリア施策を推し進めるのは1つの有効策だと考えられる。大学は既に教育インフラが整っているし、競技引退後の就職活動時には確かなシグナリングになる実利性もある。更に全国各地でプログラムを展開可能というメリットもある。一方で、どこの大学でも良いのか?と言えば、特に日本の場合は、高学歴大学でないと就職活動時には、強いシグナリングにはなり得ない。ましてや、「学位さえ取れれば良し!」という考え方で、在学中に競技以外何もしないというようなスタンスは論外である。この点は、スポーツ推薦という仕組みを第6回で取り上げて深掘りしたいと思う。
アメリカ:National Collegiate Athletic Association
アメリカのNCAA は、大学スポーツがビジネスとして成立しているという観点で取り上げられる事が多いが、今回はアスリートのキャリア施策という軸で取り上げてみたい。
NCAAは1910年に設立した、アメリカの大学スポーツ全体を統括する組織だ。1900年代初頭に大学アスリートの競技中の負傷、死亡事故が相次ぎ、これを問題視したセオドア・ルーズベルト大統領が、ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学の関係者を集めて改革を求めた事に端を発する。各大学にアスレチックデパートメントが設置され、競技横断的に運動部を統括する組織だ。
対照的になるが、日本では、各競技団体が主体のレギュレーションで大会が運営されており、また運動部は、学生を中心とする自主的・自律的な課外活動という点が、アメリカとは大きく異なる。大会レギュレーション・ルールや会計制度の未整備、学業との両立などの問題を鑑みて、2019年には、日本版NCAAであるUNIVASが設立したのは、中編で述べた通りだ。
話をNCAAに戻す。アメリカでは、スポーツを特権と考える傾向があり、部活は少数エリートの競技活動を意味し、高校、大学の部活入部にはトライアウトがある場合が多い。そして学業成績が悪い学生は部活に参加出来ないルールがある。NCAAでは、平均評定 (Grade Point Average、以下GPAとする。) を大学入学時のスクリーニングとして活用している他に、主にクラブ単位の成績指標 (Academic Progress Rate、以下APRとする。) と、卒業率 (Graduation Success Rate、以下GSRとする。) を成績管理制度として運用している。
GPAは日本でもお馴染みの成績表に記載される平均評定の事で、アメリカでは、1.0~4. 0スケールで表記されるのが標準的だ。NCAAのDivision1の大学では、GPAが2. 3以上である事が要求されている。SATとACTは日本の大学入試共通テストとほぼ同等のテストであり、GPAが低い場合はSATまたはACTでより高いスコアを取らなければ入学要件を満たせなくなっている。以下の表は、GPAとSAT・ACTの必要スコアをまとめたものである。
APRの概念は少しややこしいのだが、卒業率という結果よりも、学業の進捗をリアルタイムに測ることを目的に2003年に導入された。NCAAは、APRの導入以前にはGSR(卒業率)を重視していたが、GSRが思うように改善せず、更にマイクロレベルの指標設定に踏み切ったわけだ。計算方法が若干ややこしいのだが、奨学金を得ている学生アスリートが、その次の年も奨学金資格を得れば1ポイント、進級または卒業すれば更に1ポイントを得る仕組みで、チームの合計点を、チーム所属人数×2で割り、最後に1000を掛けるとAPRが求められる。1000ポイント満点で計算され、2022年現在では、930ポイントを切ると、そのチームにペナルティが課せられる仕組みだ。数年連続で基準を満たせない場合、ペナルティは段階的に重くなり、奨学金制度、練習時間の制限、最終的にはNCAAのステータス凍結という処分もある。2019‐2020シーズンからはAPR、GSRで一定基準を満たすとNCAAから配当金が支給されるという正のインセンティブも導入されている。
GSRは、6年間で卒業する学生アスリートの比率、つまり卒業率だ。日本の感覚だと卒業率など気にならないだろう。入学した大学生は卒業するのが当たり前だからだ。
少し古いOECDのデータになるが、日本の卒業率は世界的にも高く、90%を超えている(以下参照)。一方、アメリカの大学制度では、卒業に努力を要する仕組みになっており、公立、私立、州によっても異なるのだが、国全体では60%前後の卒業率になっている。故にアメリカではGSRが重要な指標であり、NCAAのDivision1において、2002年には74%だったGSRは、2021年には90%まで伸びている。これは驚異的な成果だと言える。
既に述べたが、アメリカではスポーツは特権と考えられている。そのためスポーツに対するサポートも手厚く、特に大学アスリートの奨学金はとても魅力な制度だ。アメリカの大学は世界一学費が高い。特に私立大学は群を抜いて高い(以下参照)。私立名門大学の代名詞であるアイビーリーグの大学の学費は、年間学費が70,000ドルを超える大学がざらにある。故に、返済義務のある奨学金を借りた学生が、卒業と共に多額の負債を抱える状況は、大きな社会問題になっている。そんな中、スポーツ奨学生としてアメリカの大学を卒業出来るならば、それはとてもなく大きなアドバンテージだ。
アメリカのフロリダ州にスポーツに特化した寄宿舎制学校のIMGアカデミーがある。テニスの錦織圭選手も在籍していた事で有名な学校だ。このIMGアカデミーを以前訪問した際、アスリート奨学生として大学進学した卒業生一覧が壁に貼りだされていた。担当者に話を聞くと、「プロ選手育成が一番の目的ではなく、アスリート奨学生として大学に進学する選手の育成をKPIとしている。」、と説明してくれた。アメリカの大学の学費、大学アスリートの社会的地位を考えると、とても腑に落ちる。
もちろん、NCAA所属の学生アスリートが全て聖人君子なわけではないだろう。大学スポーツが一大スポーツビジネスとして成立しているアメリカでは、大学の名声を上げるためにスポーツは重要かつ効果的だ。勉強は出来なくても良いから、選手として活動してもらいたいアスリートをリクルートして、何とかやりくりしている大学もあるだろう。自分もカンザス州にあるNCAA Division 2~3レベルの大学に在籍していた事があるが、課題見せてとお願いされたのは一度や二度ではない。学生アスリートの不祥事も調べればたくさん出てくるだろう。ただ、NCAAが素晴らしいのは、学生アスリートは学業でも優れているロールモデルであるべし!という理想像をAPRやGSRの指標で見える化し、アメリカ社会として期待する、学生アスリート像のオピニオン形成を試みているところだと思う。
アメリカプロスポーツの年金制度
アメリカのスポーツでもう一つ特徴的な制度が、プロスポーツの年金制度だ。イチロー氏がもらえるMLBの年金額が凄い!というような見出しで話題になる事もあるので、ご存じの方も多いと思う。アメリカのプロスポーツチームは売上、収益力が高いため、年金制度も充実している。例えば、MLBでは、満額だと年間210,000ドル支給される。
本でも日本野球機構が年間120万円を支給する年金制度を2011年まで運用していたが、その後廃止された。今はどうなっているか不明なのだが、サッカー選手会も、生涯の出場試合数×1,000円という金額を引退時に支払っていた。これは100試合出場で10万円というスケールなので、あまりに少額すぎて批判の対象になっていた。2018年には日本サッカー協会の田嶋幸三会長が、放送権収入の3~5%を積み立て、W杯出場選手に年金制度を設立するとの報道が日本経済新聞に出ている。その後の動向は定かではない。
これは中編でも触れた、学校と企業がスポーツを支える日本モデルにも関係していると思うが、日本ではプロスポーツ選手が職業として成り立ってからの歴史が浅い。故に、プロスポーツ選手の雇用における法的な立ち位置が定まっておらず、労働組合の組織力も脆弱な場合が多い。社会保障に関しても、力士は、通常サラリーマンに適用される厚生年金に加入しているが、他の多くのプロスポーツ選手は、個人事業主として国民年金に加入しているケースが多く、競技横断的な一貫性がない。
年金制度はわかりやすい施策であり、選手からの反応も良いだろう。しかしながら、本連載をここまで読んでくれた読者ならば、「アスリートのセカンドキャリア問題の本質は、引退後の金欠問題ではない。」と理解してくれるはずだ。現役時代に大活躍し、その競技を盛り上げ、社会を湧かせてくれたレジェンドに対して、引退後に金銭的な報酬を与える制度はあって然るべきだと思うが、それは別にアスリートのキャリア問題の解決策ではない。
ドイツサッカー協会及び欧州サッカー連盟の取り組み
ここまで、オーストラリア、イギリス、アメリカの事例を紹介してきた。先進事例は、コピーペイストするのではなく、日本の文脈で何がうまくいきそうなのか、峻別とカスタマイズをして導入を検討するのが重要だろう。最後に、本連載のメインスポーツである、サッカー関連の海外事例を少し紹介して、第5回をまとめたい。
第5回前編でJリーグのキャリアに関する施策を紹介した。Jリーグの場合は、セカンドキャリア支援→キャリアデザイン→スポーツキャリアという流れで施策が変遷していったわけだが、海外のサッカー組織ではどんな事例があるのか?全ての事例を網羅的にカバーするのは難しいので、特徴的な事例として、ドイツサッカー協会(以下、DFBとする。)、及び欧州サッカー連盟(以下、UEFAとする。)の取り組みを見ていきたい。
DFB認定エリート学校
ドイツでは、選手のセカンドキャリア支援として、ドイツプロサッカー選手組合(以下、VDVとする。)が中心となり、選手が所属クラブが見つかるまでの練習環境の提供や、提携大学での教育機会の提供、資格取得などのサポートをしている。このVDVの取り組みは特段革新的なものではない。一方、DFBが推進する、認定エリート学校事業の仕組みはユニークなので、こちらを紹介していきたい。
ドイツは誰もが認めるサッカー強豪国であるが、2000年の欧州選手権大会(UEFA EURO 2000)で惨敗している。グループリーグで一勝も出来ずに敗退してしまったのだ。これが契機となり、DFBは、代表チームのプレーモデル、育成から普及に至るまで、あらゆる抜本的改革を試みた。その結果、クラブライセンス制度の導入が決まり、その条件の一つとして、ブンデスリーガ1部、2部に所属する全クラブに対してユースアカデミー保有を義務化した。ちなみにJリーグもDFBに倣い、2013年からクラブライセンス制度を導入している。DFBはクラブライセンス制度を管理する組織としてDFLを立ち上げ運用を開始した。
ユースアカデミー設置には、いくつか満たすべき基準があるのだが、その1つがDFBエリート校との提携だ。日本でも、サンフレッチェ広島&吉田高校、柏レイソル&日体大柏高校、鹿島アントラーズ&鹿島学園、といったように、地元高校と密接な結びつきを構築しているJクラブはいくつもあるが、DFBエリート校は、サッカー協会が定めた基準で学校を認定するという点、提携が義務化されているという点で日本とは異なる。また、DFBエリート校を取り巻く環境としては、クラブ、学校、地域サッカー協会が三位一体で密にコミュニケーションを取りながら、選手の育成&学業の担保を図っている。学校、クラブを超えて地域で選手育成するという点は、日本のトレセン制度とも似ているが、選手の学業、キャリアに対して継続的にモニタリングするという点がトレセン制度とは一線を画す。
ユースアカデミー設置の一番の目的は将来的なタレントの発掘と育成だ。一方で、いかに育成年代で競技力が優れていても、その中で将来的にプロサッカー選手として活躍出来るのは一握りである。ならば、クラブ側が選手の将来のキャリアのための準備をするのは当然である、というのがドイツサッカー界のスタンスのようだ。勿論、基本的には、競技力向上のために導入された仕組みなので、サッカーには相当時間費やされる。しかし、学校とクラブの間でスケジュール調整はあるものの、学業が免除になるわけではない。サッカーと勉強の両方をやるべし!というDFBの期待値が制度として言語化され運用されている。
UEFA Executive Master for International Playersプログラム
最後に超国家的な取り組みとして、UEFA Executive Master for International Players(以下、UEFA MIPとする。)を紹介したい。UEFA MIPは2015年に開始された。元選手に特化したプログラムであり、全課程を修了すると、修士号が授与される。受験資格は以下の通りだ。
- 代表経験、または、ヨーロッパのトップDivisionクラブでの相当年数のプレー経験。
- 最低でも1試合はUEFAのクラブ大会に出場してる事。
- 大学卒業の学位を保有してる事。
- 十分な英語力がある事。
UEFA MIPは、Top Player to Top Leaderを標榜しており、サッカー組織でリーダーとして働く人材を育成するためのカリキュラムを組んでいる。ロンドン大学バークベック校、CDESといったスポーツで名の知れた教育機関とパートナーシップを組み、包括的にスポーツビジネス、マネジメントに関するトピックをカバーしている。また、欧米各地を飛び回るスケールの大きいプログラムになっている(以下参照)。学費27,000ユーロ+移動・滞在費という大きなコストだが、教育内容、得られるコネクションは、FIFAマスター、IOCが運営するAISTSと比肩するレベルだろう。ちなみに、FIFAマスター、AISTSも元アスリートに対する優遇施策を実施しているが、元選手のみに特化しているという点では、UEFA MIPはかなりユニークと言える。
これは当たり前の事だが、サッカービジネスは、ある程度のサッカー経験があり、現場の理解がある人の方が、筋のよい仮説を立てやすい。これは他分野でもそうだろう。現場経験者の知見は唯一無二である。一方で、元選手がサッカービジネスの第一線で活躍しているかと言えば、必ずしもそうではない。これは第3回で説明した通りだ。UEFA MIPはその壁を壊し、元選手の知見をサッカービジネス、オペレーションに還元するエコシステムを創り出す可能性がある。UEFA MIPの卒業生は、80%以上がジョブオファーを獲得しており、そのうち40%がサッカークラブ、20%がサッカー協会、20%がその他サッカー組織で働いている。
ここでは、サッカー界×海外事例という事で、DFBとUEFAの事例を紹介した。どの施策が正解というのはなく、各国、組織がそれぞれの問題認識、ニーズに合わせて選手のキャリア施策を打ち出しているのが良くわかる。最後に全体を振り返り、第5回を終えたい。
第5回まとめ
第1回~第4回までは、セカンドキャリアの内的要因、つまりサッカー選手、アスリート側の話を中心に展開した。第5回以降は、セカンドキャリアの外的要因、サッカー選手、アスリートを取り巻く環境側に軸を移して話を進めていく。手始めとして、第5回ではJリーグ、日本、諸外国のスポーツ界がどのようなキャリア施策を実施しているのか俯瞰を試みた。セカンドキャリア、キャリアデザイン、デュアルキャリア、スポーツキャリアなど、アスリートのキャリアに関するコンセプトが数多く出てきた。全体としては、アスリートのキャリアは特異であり、それぞれのフェーズで適した介入方法が必要という理解が進んでおり、サポート体制も整ってきている。
一方で改めて思うのは、「アスリートのセカンドキャリア問題がなくなる事はない、というよりも、アスリートのセカンドキャリア問題をなくす事が、問題の解決ではない。」、という事だ。何を言っているんだ?と思うかもしれないが、もう少しお付き合い願いたい。社会において一定数生活が破綻する人たちがいるように、アスリートも引退後に生活が破綻する人たちは、今後も一定数出てくるだろう。その数を減らす努力は必要だし、サポート体制を整えるのは、粛々とやればいい。それより問題の本質は、「本気で競技に取り組んだアスリートが、その力を他分野で活用する機会が与えられない。」、という事だと思う。大きな原因がアスリート側にあるのは第4回で述べた通りだ。その一方で、アスリートを取り巻く環境、社会側にも原因があると認識されるべきだ。第6回では、競技統括組織である中央競技団体、コーチ、部活動、スポーツ推薦などについて考察していきたい。
後編ここまで
第5回後編の参考記事・データ
スポーツ振興法(1961)
スポーツ振興基本計画(2000)
スポーツ基本法(2011)
スポーツ基本計画1期~3期(2012, 2017, 2020)
「デュアルキャリアにおける調査研究」報告書(2012)日本スポーツ振興センター
EU Guidelines on Dual Careers of Athletes(2012)
Australian Institute of Sportウェブサイト(https://www.ais.gov.au/)
TASSウェブサイト(https://www.tass.gov.uk/)
東京大学ウェブサイト(https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00073.html)
NCAAウェブサイト(https://www.ncaa.com/)
そろそろ、部活のこれからを話しませんか 未来のための部活講義(中澤篤史)
The 50 Most Expensive Colleges in America by CBS News(https://www.cbsnews.com/pictures/the-50-most-expensive-colleges-in-america/41/)
W杯出場選手に年金制度創設へ日本サッカー協会(https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50709_S8A200C1000000/)
東大初の元Jリーガー久木田紳吾さんがコロナ禍で選択した、大手ソフトウエア企業での第2の人生(https://dime.jp/genre/1373855/)
ドイツサッカー界に見る“ゼロキャリアサポート”(瀬田元吾)
UEFA MIPウェブサイト(https://uefamip.com/#)
その他のデータ元は各図表に記載。
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【サッカー選手のキャリアを通じて考えるアスリートのセカンドキャリアの核心】第5回:海外では全てうまくいっている??日本、世界のアスリートのキャリア施策(後編)、いかがでしたか?
今後も連載を続けますので、著者への質問やフィードバックなどありましたら、こちらのお問い合わせフォーム、またはinfo@sportglobal.jpにメールをお送りください。